えきすぽ りぽーと
 科学万博−つくば’85を現在のできうる環境化の中で、追い求めていきます。
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10 愛知万博の最寄り駅「八草駅」訪問NEW
09 茨城県立図書館で科学万博資料展 開催
08 水戸で科学万博−つくば’85のシールを発見
07 名古屋市科学館で科学万博のビデオを観た!
06 新宿でWABOT2(ワボット2)に逢いました
05 連節バスを追い求めて
04 常磐線 万博中央駅 跡地にあった記念碑の行方
03 つくばエキスポセンター 初代筑丸君ロストの危機
02 万博中央駅で使われていたと思われる看板、発見
01 今も残る万博記念公園−科学の門
  
ぽっちゃん湖・ぴょんぴょん橋・岡本太郎の像など



09 茨城県立図書館で科学万博資料展 開催
 2003年の偕楽園で梅を鑑賞した後、水戸駅方面まで歩いていくことにしました。

 茨城県立図書館において、国際技術博覧会「科学万博−つくば’85」資料展が行なわれています。過去に一度、県立図書館に訪れていますが、こうした正式な資料展というのはめったに行なわれるものではありません。

 期待を胸に、図書館に入っていきます。

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『科学万博−つくば’85資料展』 写真


08 水戸で科学万博−つくば’85のシールを発見
 2003年の偕楽園で梅を鑑賞した後、水戸駅方面まで歩いていくことにしました。水戸駅から遠い場所だと、まだいくつか古い建物が残っています。

 中華そば屋さんを通り過ぎるとき、身に覚えのあるマークが目に留まりました。そうです。あの、科学万博−つくば’85シンボルマークです。

 科学万博から18年の歳月が流れすぎようとしているのに、ここにまだ、当時のシールが残されていました。

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『ようこそ水戸へ』 写真


07 名古屋市科学館で科学万博のビデオを観た!
 2001年末。仕事で訪れた名古屋の地で科学万博−つくば’85のビデオを観る機会がありました。
 東京に戻るために新幹線のある名古屋駅に向かう途中、地下鉄伏見駅にて見かけた看板、「名古屋市科学館」
 まだ新幹線に乗るには時間があったため、迷うことなく地下鉄を降りました。
 名古屋市科学館で観た科学万博をレポートします。

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『名古屋市科学館』 写真


06 新宿でWABOT2(ワボット2)に逢いました
 2002年5月に新宿タカシマヤタイムズスクエアにて、『鉄腕アトムの軌跡展』が行なわれました。
 ロボット業界の創世記から現在に至るまで、ロボットの技術は進歩の道を歩んできています。
 その中で、1970年に大阪で行なわれた「大阪万国博覧会(EXPO’70)」、1985年に茨城で行なわれた「科学万博−つくば’85(EXPO’85)」は、我々一般人がロボットに接した、最たるイベントのひとつでした。
 今回の展覧会で「科学万博−つくば’85」からは、つくばエキスポセンターにあるWASBOT(ワスボット)が展示されていると聞いて訪れたのですけれど・・・?

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『WABOT2(ワボット2)』 写真


05 連節バスを追い求めて
 常磐線各駅から科学万博会場への輸送機関のひとつであった連節バス
 普通のバスが2台連なったようなスタイルは、これまでに無い独特の雰囲気を持っていました。しかし、その独特のスタイルがゆえに、科学万博−つくば’85閉幕後は他への転用が難しく、消え去ってゆきました。
 厳しい環境化の日本において、連節バスが未だ残されているとの情報があります。
 ひとつは京成電鉄。もうひとつは北海道旭川の、旭川電気軌道です。
 2001年夏、北海道を訪問する過程の中で、ついに、旭川で、16年越しに連節バスに出逢いました!!

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『旭川電気軌道の連節バス』 写真


04 常磐線 万博中央駅 跡地にあった「記念碑」の行方
 科学万博−つくば’85が終了したあと、万博中央駅は地元住民の意思に反し、取り壊されてしまいました。跡地に設置された記念碑にはこう書かれていました。「かつてここに万博中央駅があった・・・」。いく年もの間、駅舎跡は寂しく風雨にさらされていました。
 そして10余年。ひたち野うしく駅があたらしく完成しました。現代建築のデザインを取り入れ、4車線のホームはかつての常磐線のイメージを払拭する物でした。
 しかし、その流れの中で、万博中央駅記念碑がなくなってしまったことに気付いた人はあまりいませんでした。
 記念碑は一体何処へ行ってしまったのか!?

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『万博中央駅にあった記念碑』 写真


03 つくばエキスポセンター 初代筑丸君ロストの危機
 科学万博−つくば’85のパビリオンのひとつである「つくばエキスポセンター」ではロボットのテクノ筑丸君がエントランスでお出迎えしてくれます。
 現在の筑丸君2代目とのこと。初代テクノ筑丸君は屋外で静かに余生を送っていました。昨年(2000年)の夏に「つくば訪問」した際に、初めて初代テクノ筑丸君に会いました。しかし、2001年の某日につくばエキスポセンターに訪れたとき、初代テクノ筑丸君が居なかったのです!
 屋外の敷地を探し回っていると、向こうに見覚えのある筑丸君の姿が!!
 どうも、様子がおかしいのです・・・

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『テクノ筑丸初号機』 写真


02 万博中央駅で使われていたと思われる看板、発見
 ひたち野うしく駅西口から歩いて10分程度のところに、科学万博−つくば’85で利用された遺構が置き去りにされている場所があります。ちょうどこの日、「つくばエキスポセンター」に向かう予定だったのですが、時間が遅くなってしまったこともあり、予定を変えて遺構現場に行くことにしました。
 テントのフレームや、バス停の看板など16年経った今でも残されていました。周りの草が刈り取られていましたので、やぶの中に入っていくと、大きな看板らしいものが倒れていました。気になったので、覗き込んでみると・・・

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『万博中央駅看板』 写真


01 今も残る万博記念公園
 つくばセンターからタクシーで筑波西部工業団地へ向かいました。
 目的はただひとつ、万博記念公園を確認するためです。
 科学万博会場として利用された土地は現在、筑波西部工業団地として研究機関が集まっています。
 その中に、科学万博−つくば’85を記念して、当時のDブロックであるエキスポパークをそのまま「万博記念公園」として残しました。

 万博を記念して建てられた「科学の門」
 エキスポプラザの跡地は「シンボル広場」として、くぼ地になっています。
 ぽっちゃん湖ぴょんぴょん橋は、当時のまま残されています。
 ジャンボトロン跡地は、テニスコートになっていました。

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『ぴょんぴょん橋』 写真
(取材日2001年2月21日)


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更新日 2004/03/06

【サイト紹介】1985年(昭和60年)3月17日から9月16日まで茨城県筑波研究学園都市にて開催された、『国際科学技術博覧会(通称・科学万博−つくば’85)』〔EXPO’85〕や、茨城県県南地方(土浦市・つくば市)のイベント、JR常磐線(旧トンネル)、廃線となってしまった筑波鉄道(つくばりんりんロード)を中心に繰り広げる、「いばらき だいすき」なサイトです。

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