ぶらり茨城
 『ぶらり茨城』は、いばらきを訪れた時の訪問記をつづっています。
 身近ないばらきの「今」を取り上げます。
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■ 小貝川 岡堰と守谷城址 ■
取手市、守谷市(県南) : 2005年4月23日(土)取材

 2005年4月23日に、取手市から守谷市にかけて茨城百景の旅に出ました。
 関東鉄道常総線を使っての旅。首都近郊でありながら、気動車の振動に旅気分満点です♪(^^)。

 稲戸井駅から徒歩30分。小貝川に岡堰が現れます。
 岡堰は「「関東三大堰」のひとつ。その昔、川の氾濫などで大暴れした小貝川も岡堰の登場で落ち着きました。茨城百景当時の旧・岡堰はすでに解体されてしまい、現在では確認することはできません。現在存在するのは1965年(昭和40年)に作られた、新・岡堰です。

 続いて訪問したのは今夏開業する、つくばエクスプレス(TX:常磐新線)の接続駅にもなる守谷駅。
 守谷駅から徒歩15分の場所に、守谷小学校。その前には茨城百景碑。さらに奥に進んで湿地帯を抜けると、そこには守谷城址(鎌倉時代版)を利用した、守谷城址公園がありました。

 うっかり11時に起床・・・。
 天気もいいことですし、外出することにします。
 この時間からの外出だと近場で済ますしかないですねー。
 このところ、日立行ったり笠間行ったりして遠出が続いていたので、関東鉄道常総線辺りを目指しますかーってことで、家を出発します。

 今回の予定は下記の通り。
 ・「茨城百景 岡堰」を探す
 ・「茨城百景 守谷城址」を探す
 ・「茨城百景 大利根の展望」を探す
 3つ予定を立てていますが、時間がなくなり次第、予定を減らしていくつもりです(^^;)。


■取手駅で関東鉄道 常総線に乗り換える
 さて、電車は柏駅に着きました。ここから常磐線に乗り換え、取手駅を目指します。
 土曜なのに、電車の中は異様に混んでいます。座ることはできたのですが、ボックス席は満遍なく埋まっています。

 程なくして車両取手駅に到着です。
 ホームでは「とりでぇー とりでぇー」と特徴的なアナウンスがホームに流れます。この言い方って、上野駅も同じですよね!(^O^)。

【稲戸井駅までのきっぷ】
 関東鉄道 常総線の取手駅から稲戸井駅まで行くためのきっぷ。

 階段を上り、JR改札suicaで通り抜けます。すぐさまくるりと回りこみ、関東鉄道常総線自動券売機にてきっぷを購入します。
 まず最初に向かう、「茨城百景 岡堰」関東鉄道 常総線稲戸井(いなとい)駅稲戸井までは220円(大人)です。


【関東鉄道の改札】
 自動改札ですが、suicaはご利用いただけません。

【気動車】
 電化されていない関東鉄道常総線は、車両が気動車。ぶるぶる言っています。

 きっぷ改札に通し、階段を下りると関東鉄道気動車がぶるぶるいって出発を待っています。気動車を撮影し、ホームの駅そば屋さんも撮影。のれんが新しくなっているのは、この前、私がここで書いたからでしょうか・・・(´・ω・`)。


【新調されたのれん】
 駅そば屋さんののれんが新調されています。以前は味のある古いのれんでした。

【TVが設置されている】
 広告が満遍なく取り付けられたTV。関鉄の駅で良く見かけます。



■稲戸井駅
 気動車が出発します。西取手寺原新取手と続き、気動車稲戸井駅に到着します。

 古めかしいホームで駅看板線路などを撮影。自動改札きっぷを通し、駅舎を抜けます。
 駅舎をたんまり撮影していると、駅前観光案内板がありますので確認します。日に焼けて色落ちして読み取りつらい・・・。今回は(めずらしく)あらかじめ場所などを調査してあったので、読み取りつらいなかに、何となく読み取ることができました(^^;)。

【駅看板 稲戸井】
 関東鉄道型デザイン。上部のアールが特徴的です。筑波鉄道でも利用されていました。


【対向式ホーム】
 取手-水海道間は複線化されており、車両行き違いのために待つ必要はありません。

【油のしみこんだ枕木】
 じわーっと油の臭いが立ち込めてきそうな枕木。気動車の線路って気がします。


【線路を横断】
 高架橋はありませんので、線路を横断して駅舎に向かいます。

【稲戸井駅 駅前】
 商業施設も少なく、住宅街となっています。稲戸井は通勤駅なのでしょう。


【稲戸井駅 駅舎】
 自動改札のある駅。タッチパネル式の券売機もあり、取手駅に近いためか整備が進んでいます。駅前は車がUターンできる程度のスペースがあります。


【観光案内板「稲戸井駅周辺の史蹟と文化財」】
 稲戸井駅前にある観光案内板。内容は充実してすばらしいのですが、日焼け劣化してよく読めません。持参した地図と照らし合わせ、読み取ります。

 GPSのスイッチを入れ、歩き始めます。


■岡堰までの長い道
 ここ最近、4月にしては寒かったりする日もありましたが、今日は暖かい。今年に入って初めて、上着を着ずにTシャツだけで歩きます。道路は2車線無いくらいの幅。の往来がほどほどにあり、歩きつらいときがあります。

 30分ほど歩くと、延命寺看板を発見!。看板には「名勝 岡堰」の文字も確認できます。延命寺の敷地内が気になります。

【駅前の道を歩き始める】
 稲戸井駅から右手方向に進みます。


【県道251号線】
 守谷藤代線。住宅街が続きます。

【菜の花】
 アブラナ科の植物。


【株式会社オーサト】
 納豆の製造・販売をされている会社。「梅黄門印」の水戸納豆ブランド。

【「高井小学校跡地」の碑】
 昭和35年3月統廃合のため廃校になってしまいました。


【稲戸井駅前商店会の看板】
 道路の三角州に商店街の看板。

【左手に空き地が広がる】
 さらに、この道を10分ほど歩きます。

 いつも書いていますが、茨城百景碑というのは、そのテーマだけで捕らえて探すと痛い目に会うことがあります・・・(´TωT`)。過去にも「茨城百景筑波山」の碑筑波山の中ではなく、思いっきり(ふもと)のガソリンスタンド脇で見つけたことがありますからねー(==)。

 まず、延命寺境内は保留して、すぐ近くにあるであろう、岡堰を目指します。

【名勝岡堰 延命寺】
 稲戸井駅から徒歩30分ほどでしょうか。「岡堰」の文字を確認し、どきどきします。


■茨城百景 岡堰
 交差点を左折し、小貝川。すると、小貝川に出る前に、左手に見覚えのあるがあります。茨城百景碑です(^O^;)。


【茨城百景 岡堰】
 小貝川の水流をコントロールする施設。現在の堰は「(新)岡堰」で、1996年(平成8年)に作られたものです。茨城百景は「(旧)岡堰」を対象にしていますが、旧タイプはすでに破棄されており面影はありません。。

 「茨城百景碑 岡堰」も無事に発見できましたし、後はゆっくり辺りを散策するだけです。
 右手に岡堰がありますので、行ってみることにします。
 えーっと、ここで説明をします。「岡堰」というのは固有名詞です。この辺りが「岡」という地名。「堰」というのは「流水を調整するため、水をせき止めるところ」という意味があります。見たこと聞いたことがある機能ですが、それが「堰」と呼ぶことを初めて知りました(^^;)。


【中州】
 中州を利用して、旧・岡堰は作られていたようです。旧が無い今、中洲に渡れません。。

【新・岡堰 遠景】
 下流の先に新・岡堰が造られ、現在に至ります。橋になっており、川を横断できます。


【新・岡堰】
 左手が上流で水面が高く、なみなみと水位があります。釣りのポイントにもなっているようです。堰の奥上部には通路が見えます。

 ここにある岡堰は、茨城百景が制定された時(昭和25年)のものではありません。新・岡堰は1996年に作られました。当時から、旧・岡堰として利用されていなかったようで、新・岡堰が利用されていました。正確な記録がないのですが、つい最近、旧・岡堰は撤去されたようです。(※新・岡堰、旧・岡堰について、継続調査中です/20050801)


【流れ落ちる水】
 堰の目的のひとつ水位調整で、下流との高低差があることが確認できます。

【新・岡堰の下流を眺める】
 下流は水量が調整されている結果、穏やか。西表島 仲間川のマングローブみたい。


【(旧)岡堰があった中州】
 (新)岡堰から上流に目を向けると、(旧)岡堰があった中州が見えます。(旧)岡堰の一部が残されていたり、間宮林蔵の像がありますが、渡れません。


【最北の地 モニュメント】
 北海道稚内駅からバスで約1時間。日本最北の地、宗谷岬(大岬)です。猛吹雪の中、2002年12月30日訪問しました。

【間宮林蔵の像】
 筑波郡上平柳村(現在の伊奈町)に生まれた林蔵は、岡堰建設にて認められ、カラフトの測量を行なうまでになりました。


■岡堰水神岬公園
 続いて向かったのが、旧・岡堰の上流に当たる「岡堰水神岬公園」です。
 雰囲気としては、出島

 設置されているプレートを読むに、「出島のようなつくりになったのは、小貝川の流れを緩やかにするため」だそうで、中州などとともに水流をジグザグにすることによって水の流れにクッションを与えて流れを緩めることで、堤防を守る役割があったそうです。

【岡堰水神岬公園】
 新・岡堰に対し、上流に上っていくと、川岸から出島のように陸地が飛び出ています。


【岡堰水神岬公園 看板】
 この岬は中州と共に、ジグザグにすることで水の流れを緩める働きをしました。

【公園として整備】
 歩道はアスファルトで整備され、ベンチや水神宮が祀られています。


【水神宮】
 岡堰用水組合では水神宮と共に、上州榛名神社(山岳信仰の神)も祀っています。

【バリアフリー】
 岬公園は堤防の歩道より低い位置にありますが、スロープでアクセスが可能です。

 しばらく辺りをふらつき、いったん稲戸井駅に戻ります。


■守谷駅
 続いては守谷駅
 気動車守谷駅に入線します。

 守谷駅は改装され、先日オープンしたばかり。今年(2005年)の夏、8月24日につくばエクスプレスが開業するのにあわせ、プレオープンしました。駅舎橋上化されています。橋上化された部分だけに関して言えば、ひたち野うしく駅に似ているかもしれません。

 駅舎エスカレータを下り、あらかじめ印刷してきた地図を開き、守谷小学校方面を目指します。

【守谷駅 橋上改札】
 守谷駅は地上ホームの橋上改札。常磐線ひたち野うしく駅の雰囲気に若干似ています。


【TX線路が見える】
 改札を出て屋根の丸く空いた穴からは、つくばエクスプレスの線路が見えます。

【エスカレータで下りる】
 橋上改札からエスカレータで下ります。駅前はまだまだ工事中です。


【関東鉄道常総線 守谷駅駅舎】
 旧・守谷駅の駅舎は知らないのですが、立派な駅舎に生まれ変わりました。左上にクロスするようにある路線が、つくばエクスプレス。


■茨城百景 守谷城址
 15分ほど、住宅地を歩きます。


【記念道路改築碑】
 守谷駅近くの住宅があった敷地近くには、記念碑。撤去されないことを望む。

【街中を歩く】
 守谷小学校の方向を目指し、GPSを頼りに歩き始めます。

 しばらくすると、住宅の屋根越しにこんもりと木々が見えますので歩み寄りますと、守谷小学校前。少し高くなったに、「茨城百景 守谷城址」があるのが確認できました!(^O^)。
 すぐ隣の守谷小学校敷地角には、「平将門城址」


【茨城百景 守谷城址】
 守谷小学校前の小高くなった丘にあります。守谷市(城内地区)と平台山の島状の台地を併せて呼ばれています。鎌倉時代初期は平台山に構築されましたが、戦国時代に戦闘様式への進展に伴ない、城は現在の守谷小学校周辺に増築、移転されました。当時、周辺は湿地帯で、敵の侵入を防ぐ効果があったようです。


【「平将門城址」の碑】
 守谷城は一説によると平将門が建立したとの説があり、碑が設置されてます。

【守谷市立守谷小学校】
 守谷城(戦国時代版)は、ここ守谷小学校の敷地をメインに建てられていました。


 周辺案内の地図を頼りに周辺を歩いてみると、「和田の出口(榎(えのき)の木)」と呼ばれる場所に出ました。

 ここは守谷城 二の丸の出口に当たる部分だそうで、当時は旧守谷城と結ばれていました。
 榎の木はたいへん大きく育っていたようだと伝えられています。「榎の木は大変大きく、木の本は稲戸井にまで渡るほど太く、枝葉はさらに先の寺田までも届くほど大木であった」、と表現されています(^^;)。
 しかし、行く年の年月の中で老木となり、枯れ木死してしまい、除去したそうです。

【和田の出口(榎の木)】
 守谷城二の丸の出口に当たる場所と言われていました。この出口の下方は船着場にあたり、軍事、経済上の拠点を占めていました。

 さらに歩いていくと「里山」と呼ばれる、子供達の遊び場があります。
 ロープをたらし、座るためのを結わえて、まるで「アルプスの少女ハイジ」みたいなブランコがあります(^^)。


【里山】
 子供達の自然を利用した遊び場。
 木のブランコがアルプスの少女ハイジみたいです(^^)。

【注意書き】
 「みなさん里山へようこそ!・里山は楽しさあふれる所です!・1歩入れば緑あふれる世界・自然に触れてください!!」と記述。

 まだ先に道があります。
 秘密基地みたいな、高くそびえた草木に包まれた道をくねくねと歩いていきます。辺りからは「ホーホケキョ」ウグイスの鳴き声がこだまします。


【秘密基地みたいな道】
 里山の奥には道が続き、秘密基地につながるようなワクワクする展開になっています。

【木道】
 もともと湿地帯であったこの地域は、一部湿地帯が残っているようです。木道。

 坂道を降りていくと、尾瀬の木道のような場所に出ました。木道を歩くと、部分部分でぐちゅぐちゅと下が湿地帯であることが確認できます。歩いていくと、目の前に小高い森が現れました。


■守谷城址公園
 ここは「守谷城址公園」と呼ばれる場所で、守谷城があった場所です。

 守谷城に関しては、建て主がはっきりしません。平将門が建立したという説があったそうですが、現在では平将門の親近者相馬師常によって築城されたというのが有力なようです。

 守谷城址は、もともとがあったというだけあって、高低差が激しい。さらに、空掘とよばれる、水を引かない堀の跡があったりして、きちんと学んでから観れば、楽しめるような原形を残した公園です。茨城百景に制定されているだけあって、辺りの風景の眺めもよろしい(^^)。

【守谷城址公園】
 鎌倉時代の守谷城跡。現在では当時の地形を利用して公園になっています。


【空掘り】
 城に攻め込まれないように、掘られたトラップ。水を引かないため、空掘りと呼ばれます。

【公園高台に続く道】
 公園入口右手の坂道は、高台に続きます。お城の土地を利用しているのでしょう。


【守谷城址公園からの眺め】
 眼下に見える枯れ藪は、湿地帯に生えている藪なのかもしれません。


【公園内】
 歩道が整備され、ベンチもあり静かな空間が演出。草木が育成されています。

【守谷城址内郭図】
 公園内にある「守谷城址」の案内板。すぐ近くまで小貝川の水が来ていたようです。


【自然と人との学びの森】
 第3期のアイディアモニター ヴェルデによる、街づくり活動の一環。守谷の自然を知り、発表することで地域の活性化を図っています。

 守谷駅に戻ります。


【こいのぼり】
 もうすぐ子供の日(5月5日)ですねー。

【カスミ】
 地域のお買い物の場なのでしょう。


■八坂神社
 戻る途中、八坂神社があったので撮影。


【八坂神社】
 カスミのならびにある神社。祭神は素差鳴尊(すさのおのみこと)。

【拝殿】
 夏場には、地域のお祭り(祇園祭)などで賑わうのでしょうか。


■開発される守谷駅
 18時過ぎ、守谷駅に到着。

 改札脇の売店缶コーヒー茨城新聞を購入。ホームで気動車を待ちます。今日は時間が無くなってしまったので、茨城百景「大利根の展望」散策は次回に持ち越します。

 関東鉄道常総線のホームの上に、つくばエクスプレス高架線路ホームがあります。薄暗い関東鉄道常総線守谷駅ホームで待ちながら、あと半年も経たないうちに、つくばエクスプレスが開業するんだなーと思いました。

【守谷駅 つくばエクスプレス側】
 夕焼けに沈む守谷駅。つくばエクスプレス側は高架駅です。今夏(2005年)開業。


【道路整備中】
 歩道などはまだ整備されず、土が露出しています。雨の日はつらいかも。

【駅前も整備中】
 つくばエクスプレスが開業しても、しばらくは整備工事が行なわれそうです。


(この項おしまい)
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取材・掲載 お問い合わせ
更新日 2005/08/01
2005年07月30日 UP

関連リンク
岡堰と間宮林蔵博物館(20051020)

●守谷駅の新駅舎がまだ工事中だったときの写真もあります
関東鉄道常総線 三妻-石下ウォーキング〜水海道近郊名所巡り(20050213)
水海道市 祇園祭2004(20040717)
【サイト紹介】茨城県土浦市で生まれ、すぐに県外で育ちました。「故郷は遠きにありて思うもの」とは言いますが、歳を取れば取るほど故郷への愛着は深まるばかり。1985年(昭和60年)3月17日から9月16日まで茨城県筑波研究学園都市にて開催された『国際科学技術博覧会(通称:科学万博-つくば’85)』〔EXPO'85〕の思い出を皮切りに、幼い頃よく連れて行ってもらった土浦駅を中心に活動の場を広げます。サイト開催当初は茨城県県南地域(土浦市・つくば市)を中心に活動を広げていましたが、現在では県央、県北、鹿行と活動の幅を広げています。時には茨城県を飛び越え、常磐線つながりで「常磐線旧トンネル(廃トンネル)」を福島県まで求めたり、廃線となった筑波鉄道を散策したり。日立電鉄廃線の時には、最終列車に乗ったりします。祭り好き、花火好き、山車好き。茨城県の第一人者になるべく、足を使った泥臭い取材を心がけていく、「いばらき だいすき」なサイトです。将来の夢は茨城県で一花、いや、たくさんの咲かせること。故郷に錦を飾る予定です。

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