ぶらり茨城
 『ぶらり茨城』は、いばらきを訪れた時の訪問記をつづっています。
 身近ないばらきの「今」を取り上げます。
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■ 廃線 日立電鉄線のその後 ■
日立市(県北) : 2005年12月25日(日)取材

 つくば→水戸→袋田→日立と旅してきた3日目。
 本日は帰宅する日なので、日立駅から近い場所での旅になります。今年(2005年)の夏に訪問した北茨城市の磯原駅に行くことにします。磯原駅から訪問するのは、茨城百景「磯原海岸」、野口雨情生家です。
 その後向かうのは、大甕駅。同じく今年の3月31日に廃線となった、日立電鉄線 大甕駅です。


■その後の日立電鉄線 大甕駅
 14時40分過ぎ、常磐線大甕駅に入線します。大甕駅訪問は今年(2005年)の5月以来かしら?(’’*)。

 大甕駅の改札18きっぷを提示し、駅舎を出ます。
 駅舎を出て左手にある駅前商店街を進んでいくとY字路になっており、ここを左に進むと常磐線を横断するための陸橋があります。陸橋を上ると、大甕駅の全景を眺めることができます。駅方向に向かって右側が旧・日立電鉄線の島式ホームです。線路はウワサ通り、すでに撤去されています。。

【大甕駅(おおみかえき)】
 かつて日立電鉄線と接続していた駅。


【陸橋から大甕駅方面を眺める】
 写真左手の線路(2つ)が常磐線。写真真ん中の砂利道が、かつての日立電鉄線の線路跡(単線)。右の白い建物は日立電鉄 鉄道部の事務所。


【事務所案内板】
 陸橋を下りると事務所への案内板があります。

【跨線橋】
 今も日立電鉄線ホームにつながっています。

 陸橋を下り、日立電鉄線のホーム方向に歩いてきます。
 踏み切りの信号機が一堂に集められており、まるでお別れ会をしているようです・・・(TT)。

【“使用中止”の踏切信号機たち】
 日立電鉄線の線路が撤去された段階で、踏み切りも撤去されました。その踏切の信号機が一堂に集められています。。

 線路待避線を含め、すべて撤去されています。線路撤去された敷地は、以前よりも広く感じます。


【ホーム】
 電車が来なくなった今だからこそ、見ることのできるアングル。

【散在する信号機】
 線路の分岐線などに設置されていた信号機も御役御免になりました。。


 ホーム上自動販売機などはすべて撤去。待合室や、駅員控え室などが残されています。こういった施設が、荒らされていないのだけが、唯一の心の救いのような木がします。


【ホーム上の待合室】
 荒らされること無く、静かに時を刻みます。

【確認ミラー】
 いくつもの車両を見送ったであろうミラー。


【広かった日立電鉄線 大甕駅 退避線路跡地】
 かつて退避線路があった場所も、こうして線路を取り除いてみると、こんなにも広かったんだなーって感じます・・・。


 30分ほど撮影をし、場を後にすることにします。
 常磐線 上り電車に乗り、長いようで短かった3連休が終わろうとしています。


もどる:磯原海岸 大北川と野口雨情生家
(この項おしまい)

 
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取材・掲載 お問い合わせ
更新日 2006/08/20
2006年08月20日 UP

関連リンク
助川海防城跡とあんず通り(20060318)
今回と同じように、廃線後の日立電鉄線 大甕駅に訪問しています
泉神社と泉が森(20050504)


 
【サイト紹介】茨城県土浦市で生まれ、すぐに県外で育ちました。「故郷は遠きにありて思うもの」とは言いますが、歳を取れば取るほど故郷への愛着は深まるばかり。1985年(昭和60年)3月17日から9月16日まで茨城県筑波研究学園都市にて開催された『国際科学技術博覧会(通称:科学万博-つくば’85)』〔EXPO'85〕の思い出を皮切りに、幼い頃よく連れて行ってもらった土浦駅を中心に活動の場を広げます。サイト開催当初は茨城県県南地域(土浦市・つくば市)を中心に活動を広げていましたが、現在では県央、県北、県西、鹿行と活動の幅を広げています。時には茨城県を飛び越え、常磐線つながりで「常磐線旧トンネル(廃トンネル)」を福島県まで求めたり、廃線となった筑波鉄道を散策したり。日立電鉄廃線の時には、最終列車に乗ったりします。祭り好き、花火好き、山車好き。茨城県の第一人者になるべく、足を使った泥臭い取材を心がけていく、「いばらき だいすき」なサイトです。将来の夢は茨城県で一花、いや、たくさんの咲かせること。故郷に錦を飾る予定です。

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