ぶらり茨城
 『ぶらり茨城』は、いばらきを訪れた時の訪問記をつづっています。
 身近ないばらきの「今」を取り上げます。
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■ 稲敷の茨城百景巡りと江戸崎祇園祭 ■
稲敷市(県南) : 2005年7月23日(土)取材

 古渡での遭難事件も飯野屋旅館さんを発見し、無事に一夜を明かすことができました(=▽=)。
 昨日発見できなかった稲敷市周辺の茨城百景碑を、タクシーを使って次々に発見していきます。しかし、茨城百景制定から55年。流れ行く年月にはかないません。。「古渡の湖畔」は目印となる古渡橋が、今回の訪問ぎりぎりで解体工事されているし、「夢の浮島」は本土と浮島の間が“干拓事業”により埋めたてられ、“島”ではなくなってしまいました・・・。
 再び旧・江戸崎町に戻り、「江戸崎祇園祭」の乱曳き風景を撮影します。

 6時30分頃起床。
 気がつけば、ここは飯野屋旅館・・・。昨日は旧・桜川村で遭難しかけ、ボロボロになって旧・江戸崎町の市街地に到着したのでした・・・(´=ω=`)。飯野屋旅館さんにお世話になり、屋根のある場所で無事に、朝日を拝むことができたのです(T人T)。

 昨日お伺いした話では、7時から朝食
 時間ぎりぎりに行ったのでは食堂の混雑に巻き込まれてしまうかなーと思い、7時30分過ぎに1階の食堂に下りていきます。先客は若い男性の方一名。女将さんに挨拶をし、朝食をいただくことにします。

 実は昨日は、最後に食事らしい食事を摂ったのは、セブンイレブンで購入したあんぱんだけだったのです・・・。昨晩は空腹に耐え、何とか就寝。それだけに朝食は楽しみだったのです!(^^)。でも空腹って、峠を過ぎるとそれほど苦しくなくなりますよね?。朝になったら、いつもと同じ程度のおなかの空き具合になっていました(^^;)。

【飯野屋旅館 和室】
 古渡での遭難未遂事故から無事に生還し、宿を取ることができました。

 朝食は、ご飯みそ汁(豆腐となす、揚げ)味付けのり煮魚煮たナス漬物いんげんの胡麻和え
 うーん、質素(ほめ言葉です)な朝食で、茨城の本当の朝食なんでしょうねー(^^)。
 きちんと残さずぜーんぶ平らげました(^O^)ゴチソウサマデシタ〜♪。
 説明がないと誤解されてしまう可能性があるおかずですが、こういうおかずのほうが体にいいんですよね!。


【朝食】
 飾らない、いつもの茨城の朝食。。質素(ほめ言葉)だけど、とてもおいしい〜(*^^*)。

【食堂を盗撮】
 飯野屋旅館さんの食堂をこっそりと盗撮。昭和の面影がある、洋室です。

 チェックアウトは10時ということなので部屋に戻り、少しだけ食休み。

 9時過ぎに荷物をまとめ、チェックアウトすることにします。
 女将さんにご挨拶。女将さんは笑顔がステキで、とても気持ちのよい旅館です。来年は、きちんと予約を入れて、江戸崎祇園祭を取材しようかしら(?O?)。

【お世話になりました】
 飛込みの訪問にもかかわらず、部屋をお貸しいただき、ありがとうございました〜(^O^)。


■西町芸座連の山車
 街中を散策します。
 山車の練り歩きは一番早い町でも11時以降から。まだスタンバイ状態の山車を求めます。
 飯野屋旅館さんの前にある駐車場では、西町芸座連の山車があります。


【西町の山車】
 昨日、当番だった西町。飾りがにぎやか。山車が全体的に軽く見えるのが、江戸崎の特徴かも。

【西町芸座連の提灯】
 江戸崎では、団体の名称を提灯に記しています。雨よけのビニルがかぶせられています。


【鳳凰と老人の彫り物】
 山車の中で唯一?手がかけられている彫り物。鳳凰に乗った老人の彫り物です。

【ワッパ(車輪)はゴムタイヤ】
 昨晩も確認しましたが、ワッパはゴムタイヤ。木のワッパでないのが残念です・・・。


■旧・江戸崎町の建物たち
 古い蔵造りの建物を撮影。
 もともとは商業的なお店だったようですが、一部のお店を除き、お店としての役割を終えているようです・・・。


【蔵造りのお店 その1】
 建物側面に手直しの跡がありますが、構造そのものは蔵の躯体を使っているようです。

【蔵造りのお店 その2】
 1階部分の建具がサッシに付け替えられています。側壁は板張りで、貴重!(@@)。


【木造建築のお店】
 外壁に木板を用いているのはもちろんのこと、建具までもが木枠を使っているのがスゴイ!。

【旧・江戸崎町の市街地風景】
 交通が発達する前は市街地も賑わったのでしょうが、車社会化で「通過される街」に。。


【旧・江戸崎町の看板建築】
 看板建築部分には「戸」「崎」の文字。江戸崎の「江」が無いのは、手前の「なかへい」さんが建物を建て替えたからのようです。


■戸張町の山車
 中央十字路に行き、戸張町の駐車場へ。戸張町の山車があります。提灯などをはずした状態で、少し寂しい雰囲気です・・・。


【戸張町の駐車場】
 お祭り期間だけは駐車場は関係者用のスペースになるため、駐車禁止になります。

【戸張町の山車】
 飾り(提灯など)が最小限の状態で、山車がまだ寂しい。この後、準備が始まるのでしょう。


【ワッパ(車輪)】
 こちらもゴムタイヤを採用しています。

【「戸張町芸座連」の板】
 江戸崎では「芸座連」と名前がつきます。


■バス停「江戸崎」とツバメの巣、浜町の山車
 バス停「江戸崎駅」に着きました。
 土浦駅行きのバスが出発前で乗客を待っていますが、KOUJINN(旅人)まだ土浦には戻りません・・・。

 商店街の屋根のいたるところに、ツバメの巣。雛がかえったばかりの時期のようで、ぴよぴよと泣き声が聞こえてきます(*^^*)。

 浜町のところまで来ると、駐車場で飾り付けの作業をしている、浜芸座連の山車を発見します。

【バス停「江戸崎駅」】
 土浦駅(市街地)や荒川沖駅、竜ヶ崎駅行きの路線バスが発着するバス停です。



【軒下のツバメ】
 商店街でぴよぴよと泣き声が聞こえてくるのは、雛が親鳥のえさを待っているからです。

【飾り付け中の浜町の山車】
 フォークリフトのつめに乗って、山車頂上部の飾り付けを行なっています。。気をつけて。。


■タクシーで桜川商店街を探す
 昨日、訪問して見つけることのできなかった茨城百景「古渡の湖畔」がどうしても気がかり。時間はまだ9時30分くらいですし、ここは奮発してタクシー稲敷市旧・桜川村方面を散策することにします!(><)9゛。
 浜町のところに共同タクシーがあり、扉をたたきます。

 タクシーに古渡に行ってもらうことにします。
 運転手さんには「探し物がありますので」みたいに、あいまいにお話します(^^;)。

 小野川沿いを車を走らせ、昨日歩いた新古渡橋を渡ります。江戸崎市街地から10数分で古渡に到着しました。昨晩は1時間掛けて歩いた距離が、車だとものの10数分・・・(TT)。

 タクシーには待っていただき、小野川沿いを歩きます。事前調査では「橋を渡り、旧桜川村商店街に入ったすぐの場所付近」に、茨城百景碑があるはずなのです。しかし、商店街興禅寺須賀神社を散策します。しかし見つかりません・・・。重い足取りでトボトボと、タクシーに戻ります・・・(´=ω=`)。

【小野川を眺める】
 新古渡橋から小野川(霞ヶ浦方面)を眺めます。事前調査では「“橋”を渡ってすぐ左」の場所に、茨城百景碑があるとのことでしたが・・・。


【お祭りの幟(のぼり)】
 “布”の部分が大事なように感じてしまいますが、実は棒の部分、棒先端の葉っぱが重要なのです。

【須賀神社】
 小野川沿いから桜川村商店街を通り抜けると、昨晩、お祭りが行なわれていた須賀神社。


【古渡祇園祭の祭事道具】
 神社境内の一角に、古渡祇園祭で用いられる祭事道具が置かれています。かなり長期的な歴史を持つ道具のように見えます。このまま使わずに、博物館に寄贈したほうが良いのではないでしょうか!!(@O@)。


【拝殿にお神輿】
 おそらく昨晩、担がれたであろうお神輿。

【桜川村商店街通り】
 「商店街」の雰囲気ではありません。


■茨城百景 古渡の湖畔
 ここで初めてタクシーの運転手さんに話しました。
KOUJINN
   (旅人)
 「実は“茨城百景”の碑を探していまして、この付近に“古渡の湖畔”と呼ばれるがあるはずで探しているのです。」
運転手さん  「茨城百景の古渡の湖畔なら知っていますよ。案内します。私は古渡生まれなんです。」

 w(゜O゜)wオー、これは何という偶然!!。

 タクシー旧・桜川村商店街の奥に入っていくと、Y字路。そのY字路部分に、茨城百景「古渡の湖畔」がそびえていました(TT)。

【解体中の古渡橋と茨城百景碑(右)】
 新古渡橋から桜川商店街を走りぬけるとY字路。そのY字部分に茨城百景碑。すぐ先には“古渡橋”があり、老朽化のため解体されているのです。。


【茨城百景 古渡の湖畔】
 古渡橋(老朽化のため解体中)を渡ってすぐの旧・桜川村に碑がありました。ここから眺める霞ヶ浦の湖畔風景は、かつてのものではなくなりました・・・。

 運転手さんにお伺いすると、当初私が調べていた、(新古渡大)橋を渡ってすぐ左の場所(☆印)」と言うのは詳細としては間違いで、旧・古渡橋を渡ってすぐ左の場所(★印)」だったのです。

 古渡橋は老朽化のために撤去作業中。現在は(昨日歩いた)別の場所に新古渡大橋が架かりました。
 私は橋を取り違えていたのです・・・(==)。


 茨城百景が制定されたのが昭和25年(1950)。55年も時が経てば干拓などで地形も変わるし、橋も架け替えられるのは理解できます。

【古渡地域の地図】


■茨城百景 阿波の大杉神社
 続いて向かうは大杉神社。タクシー10分ほどで到着です。
 国道125号線を南下して行くと阿波郵便局があり、目の前が大杉神社大杉神社の入口脇に、茨城百景「阿波の大杉神社」があります(^^)。
 “阿波(あば)”と呼ばれるのは、この地域一体がその昔(昭和31年まで)、阿波村であったことに由来しているとの事。阿波村は昭和31年に桜川村(浮島村+古渡村)に編入する形で新・桜川村になり、としての名前が消えています。ちなみに現在ではさらに合併が進み、「稲敷市阿波」になっています。
 境内などをしばらく撮影し、移動します。

【国道125号線】
 右手上部が大杉神社。左手には郵便局があります。写真進行方向は、阿見・土浦方面。


【大杉神社 入口】
大杉神社入口前には国道が走っており、車の往来が激しい。左手には茨城百景碑。

【大杉神社 本殿】
 本殿は工事中。屋根付の工事仮囲いとは、屋根の葺き替え工事でもしているのかしら。。


【茨城百景 阿波の大杉神社】
 航海安全、悪疫除け(特に天然痘)の神社。神護景雲元年(767)勝道(しょうどう)上人が、大杉の根元に祠を建てたのが始まりとされています。10月には悪霊除けの祭り「阿波ばやし(あんばばやし)」が行なわれ、有名です。


■茨城百景 夢の浮島
 夢の浮島――。
 これほどロマンチックな名前のついた茨城百景があったでしょうか。否。
 浮島は現在では路線バス1日1往復という現状で、公共交通機関だけで訪問するのはほとんど不可能になっています・・・。
 だからこそ、こうしてタクシーで訪問できる時に、訪問しておくのです(^^;)。

 タクシーの運転手さん役場の方に確認を取っていただき、百景碑の場所がほぼ特定できたようです。旧・桜川村役場前を通り、旧・浮島村に入った場所の交差点にあります。少し高台になっており、が心なしが目立ちます。

【旧・桜川村役場】
 先ほど茨城百景碑の所在地を教えていただいた役場。タクシーの中から、瞬撮します。


【茨城百景 夢の浮島】
 その昔、浮島と呼ばれる地域は本土から離れ、霞ヶ浦に浮かぶ島のようだったと言われています。戦前、戦後、段階的な干拓事業により、浮島は地学上、島ではなくなりました。。


【百景碑周辺の古い橋】
 周辺は川が多く、橋も多いです。橋を挟んでどちらかが、干拓された土地なのでしょう。。

【関谷友吉翁報徳碑】
 百景碑のすぐ近くには、関谷友吉を称える碑。干拓事業に力を発揮したようです。


■運転手さんに聞いた、地方の事情
 それにしても、奮発してしまいました・・・。
 タクシー代は8260円です。必要経費で落としたいものです・・・(=▽=)。
 運転手さんからは良いお話もお聞きできたし、「情報料も込み」ということで、料金のことは納得することにします・・・。

・欽ちゃん球団が桜川村に
・球場近くに買い物ができる場所がなく不便。
・この界隈だと江戸崎市街か、佐原市街まで行かなければならない
・練習は基本的に都内から来ている。片道2時間くらいかかる。
・宿泊せず帰るので、往復で4時間以上かかるはず
・女の子ピッチャーは江戸崎に住んでいる
・球団をサポートするため、各お店がサービスをする
  (例:ご飯の大盛りをサービス、など)

・桜川村が合併したため、市としてのバランスが少しおかしくなってきている

・タクシーの運転手さんの実家(古渡)はお肉屋さんだった
・地元の子ども達は学校を卒業すると、都内に就職する傾向にある
・人口が流出する
・かといって、地元に働き口が少ないのも事実


■本町と荒宿町の山車
 再び、旧・江戸崎町の市街地に戻ってきました。時刻はもうすぐ11時30分になろうとしています。タクシーを下り、街中を再び歩きます。
 本町囃子連の山車
 荒宿町芸座連の山車


【本町の山車】
 お祭りが始まるのを待っています。

【荒宿町の山車】
 荒宿町も準備が終了しています。


■イズミヤで昼食
 11時30分過ぎ。
 少し早いですが、お昼にします。
 江戸崎の市街地を歩き、“地元の食事”を探します。。ところが、いつの間にか市街地を抜け出し国道408号線に出てしまいました。。目の前にはショッピングセンターイズミヤがそびえます。。

 イズミヤケンタッキーにて、レッドホットチキンセットコールスローをいただくことにしました。ぜんぜん地元の食事ではありません・・・(==)オイシイケド。

【イズミヤ】
 国道408号線沿い。店内のケンタッキーで昼食を摂ります。


■瑞祥院
 昼食を食べ終わり、旧・江戸崎町の市街地に戻ります。来た道と違うルートを歩いていくと、左手にお寺があります。瑞祥院(ずいしょういん)。


【瑞祥院】
 臨済宗の寺院。文和(ぶんな)元年(1352)、黙翁禅師の開山で足利尊氏の開基。

【江戸崎八景跡 羅漢山の夕照】
 もともとは「江戸崎八景」に含まれるほどの、景勝地だったようです。


【臨済宗 瑞祥院】
 境内の配置構成がすばらしい。道路手前には川(水溜り)が横切り、古代ハスが咲き、橋を渡って歩いていくと、突き当たりに瑞祥院があります。


■鹿島神社(旧・江戸崎町)
 瑞祥院から歩いてすぐの場所に、鹿島神社
 鹿島神社は裏から入り、正面に出ます。神社を裏から入ると当然、いきなり神殿です。

 いつもは正面の参拝道から入り、拝殿神殿と順番に見ていくのに、いきなり神殿というのは変な感覚です。。

【鹿島神社(旧・江戸崎町) 神殿】
 境内の裏側から訪問したため、いきなり神殿が目の前に現れます。。


【鹿島神社(旧・江戸崎町) 拝殿】
 元亀(げんき)元年(1570)、江戸崎城主の土岐治英(ときはるふさ)が城内の守護神として、鹿島神宮(現・鹿嶋市)の分霊を勧請して創建しました。祭神は健御雷之男命(たけみかずちのみこと)。


■荒宿町の山車と本町の山車
 参拝道の先に鳥居があり、荒宿町芸座連の山車があります。山車を撮影していると、正面の道に浜町囃連の山車が来ました。さらに中央十字路方面からは本町の山車です。


【鹿島神社前の荒宿町の山車】
 先ほどまで旧・江戸崎町市街地で止まっていたのに、いつの間にか移動していました。

【荒宿町芸座連の提灯】
 山車には荒宿町芸座連の提灯があります。


【浜町の山車がやってくる(3コマ)】
 鹿島神社前で撮影をしていると、浜町の山車が左折しながらやってきました。

【浜町の山車のワッパ】
 浜町の山車のワッパもまた、ゴムタイヤ。ホイールが黒いのが特徴!?。


【本町の山車もやってくる】
 中央十字路からは本町の山車がやってきました。こちらも先ほどまで市街地にいました。

【本町の山車のワッパ】
 ホイールが赤いゴムタイヤ。旧・江戸崎町の山車では、どの町もゴムタイヤですねー。


【突き抜けるような青空】
 昨日の惨事がまるで遠い出来事のような、そんな青空です。


■古城橋の馬頭観世音
 この近辺に八坂神社があるはずなのです。祇園祭で配布されているパンフレットの地図を頼りに探します。
 稲敷市役所だとか、古城橋の馬頭観世音の碑だとかを見つけますが、八坂神社が見つかりません〜(><)。


【稲敷市市役所】
 旧・江戸崎町町役場。

【本町の山車とすれ違う】
 八坂神社を探してさまよいます・・・(==)。


【古城橋】
 旧・江戸崎町市街地からかなり離れました。

【馬頭観世音の碑】
 昔は馬は大切な存在だったのです。


■大宿の仮御殿
 神輿仮御殿の場所まで来てしまいました・・・。

 本神輿仮御殿のなかに収められています。どうやら本日(23日)は、夜の「お田植えの儀」まで仮御殿から出ることはなさそうです。

【大宿】
 大宿のスペースには仮御殿があります。


【仮御殿】
 仮御殿の中には、本神輿がスタンバイ。どうやら本日夜までは出番が無いようです。

【子供神輿】
 仮御殿前の子供神輿は、いつでも出発OKのようです(^^;)。


【仮御殿の裏側】
 この草は萱なのか、まごもなのか・・・。

【古いコカコーラの自動販売機】
 ビンを引き抜くタイプの自動販売機ですね。


■戸張町の山車
 中央十字路まで行き、バス停「江戸崎駅」に。


【戸張芸座連の山車】
 大宿からバス停「江戸崎」まで行く途中、旧・江戸崎町の情報発信基地「えどさき笑遊館」前にて戸張芸座連の山車がやってきます(^^)。


■えどさき笑遊館とリバーサイドパークかぼちゃ公園
 時間は13時を回ったところ。次の土浦駅行きのバスは15時なので、もう少し江戸崎の街を歩くことにします。笑遊館リバーサイドパークかぼちゃ公園


【えどさき笑遊館】
 もともとは老舗旅館だった建物を改築して利用しています。お醤油の“しょうゆ”から命名。

【かぼちゃ公園】
 バス停「江戸崎駅」の裏手(霞ヶ浦方面)にある公園です。


【かぼちゃ公園からの霞ヶ浦】
 公園のアスレチックに上り、撮影。その昔水運が栄えていたころ、ここから江戸へ醤油などを運んだのでしょうか。。


■田宿町の山車
 バス停「江戸崎駅」周辺にいても、山車は近くを通ります。


【田宿町の山車が来る】
 バス停「江戸崎駅」で待っていると、裏手の道を田宿町の山車が通ります。

【山車には奉納金の紙】
 山車には奉納金の金額が書かれた紙が張られています。


【青空の田宿町】
 今日は天気も良いし、江戸崎祇園祭も盛り上がることでしょう(^ω^)。


■土浦駅に戻る
 15時。江戸崎駅バスが来ます。

 バスの中から風景を楽しみます。広く青い田んぼが広がり、遠くには筑波山がうっすらと。

 途中の阿見付近で、神輿を担いでいる風景を確認します。今日、明日はどこも祇園祭なのでしょう(^^)。

【土浦駅行きのバス】
 だいぶ遅くなってしまいました。土浦に帰ります。


【稲敷地方の田園風景と筑波山】
 青々とした田園。遠くにうっすら筑波山。

【阿見町でも祇園祭】
 通り過ぎるバスの中から、阿見祇園祭。


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つづき:平成17年度 土浦祇園祭 土浦八坂神社神輿巡幸

 
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取材・掲載 お問い合わせ
更新日 2005/12/13
2005年12月13日 UP

関連リンク
えどさき夏まつり(20040821)
霞ヶ浦遊覧(20040822)


 
【サイト紹介】茨城県土浦市で生まれ、すぐに県外で育ちました。「故郷は遠きにありて思うもの」とは言いますが、歳を取れば取るほど故郷への愛着は深まるばかり。1985年(昭和60年)3月17日から9月16日まで茨城県筑波研究学園都市にて開催された『国際科学技術博覧会(通称:科学万博-つくば’85)』〔EXPO'85〕の思い出を皮切りに、幼い頃よく連れて行ってもらった土浦駅を中心に活動の場を広げます。サイト開催当初は茨城県県南地域(土浦市・つくば市)を中心に活動を広げていましたが、現在では県央、県北、県西、鹿行と活動の幅を広げています。時には茨城県を飛び越え、常磐線つながりで「常磐線旧トンネル(廃トンネル)」を福島県まで求めたり、廃線となった筑波鉄道を散策したり。日立電鉄廃線の時には、最終列車に乗ったりします。祭り好き、花火好き、山車好き。茨城県の第一人者になるべく、足を使った泥臭い取材を心がけていく、「いばらき だいすき」なサイトです。将来の夢は茨城県で一花、いや、たくさんの咲かせること。故郷に錦を飾る予定です。

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