ぶらり茨城
 『ぶらり茨城』は、いばらきを訪れた時の訪問記をつづっています。
 身近ないばらきの「今」を取り上げます。
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■ 古代蓮とあじさい咲く下妻花めぐりの道 ■
下妻市、筑西市(県西) : 2005年6月26日(日)取材

 2005年6月26日、関東鉄道常総線の騰波ノ江駅ではJR東日本が主催するイベント、『駅からハイキング』が催されていました。テーマは古代蓮とあじさい咲く下妻花めぐりの道。騰波ノ江駅から大宝駅を巡り、下妻ピアパークに訪問する、ハイキングイベントです。
 関東の駅百選に選ばれている騰波ノ江駅に訪問したかったことと、騰波ノ江駅に近い史蹟「関城跡」を見学したかったこと、大宝八幡神社のあじさいを見学したかったこともあり、ハイキングイベントに参加することとなりました。

※本サイトで紹介されているルートは、JR東日本が企画する『駅からハイキング「古代蓮とあじさい咲く下妻花めぐりの道」』の正式コースとは異なります。あらかじめご了承ねがいます。

 関東鉄道常総線 騰波ノ江駅(とばのええき)で、駅からハイキング「古代蓮とあじさい咲く下妻花めぐりの道」が行なわれます。
 騰波ノ江駅国土交通省が定めた「関東の駅 百選」に認定されている駅です。先日、騰波ノ江駅に来る機会がありましたが、その時は夜になってしまい、駅舎撮影が満足にできませんでした。
 今回、駅からハイキングのイベントに便乗し、騰波ノ江駅を訪問。さらに、茨城百景の包括風景に指定されている「関城跡」に訪問する予定になっています(^m^)。

 駅からハイキングの受付は、午前9時から11時の間です。
 その時間までに騰波ノ江駅にて受付を行なわなければなりません。最寄り駅にて7時30分過ぎの電車に乗車。京浜東北線小山駅に向かいます。
 今回の騰波ノ江駅訪問は、常磐線 取手駅から北上するのではなく、水戸線 下館駅から南下します。

■水戸線で小山駅から下館駅に向かう
 小山駅に到着。水戸線への乗り換えは、4,5分ほどしかなく、少し駆け足でホーム間を移動します(@@)フウフウ。

 水戸線電車内でボックスシートでも確保して、ゆっくり旅気分に浸ろうかにゃ〜(´-ω-`)と目論んでいたら、水戸線の電車内はがっつりと混みあっています・・・。出入り口の扉に寄りかかるようにして、位置を確保します・・・。

 9時34分、水戸線が出発。
 右手に青々とした田んぼの関東平野が広がります。

【水戸線 小山駅16番線】
 ボックス席のあるステキな白電。車内は混みあい、座ることができません。。


【青き関東平野】
 稲が青々と育つ6月です。

【関東鉄道 常総線が見える】
 水戸線は下館駅に入線します。




■下館駅にて真岡鐡道のSL
 9時50分過ぎ、下館駅に到着です。2番線ホームに下ります。

 下館駅関東鉄道 常総線に乗り換え。
 下館駅の乗り換え路線と言えば、真岡鐡道という路線もあります。SLの運行で有名です。

 何気なく真岡鐡道のホームを眺めると、親子だとかカメラを持った人たちで賑わっています。
 もしかしたら、と思い線路先を見ると、機関車DE10型客車を引いて、真岡線1番線ホームに入線してくるではないですか!?(@O@)。反対側にはSLC12が!(@@)。

【賑やかな下館駅ホーム】
 真岡鐡道側のホームが親子連れで賑やか。SLの運行があるようです(^^)。

 軽いSLマニヤになりつつある私は、気がつけば小走りになっています(@@;)。
 子供をかき分け(ウソ)、子供の写真撮影に遠慮しながら私も撮影させていただき、本来の目標である関東鉄道 常総線のホームに移動します。。


【真岡鐡道 C1266】
 毎週土日祝日に1日1往復、SLでの運行が行なわれます。C1266は愛称「ポッポちゃん」と呼ばれています。昭和8年に日立製作所の笠戸工場で製造。福島県川俣町で静態保存されていたのを、平成6年に真岡線で再び使われるようになりました。


【高架橋を渡る】
 本来の目的は、関東鉄道 常総線に乗ることだったので、移動します。

【階段を下りると改札】
 下館駅の関東鉄道 常総線の改札は、階段を下りたホーム上にあります。

 関東鉄道 常総線の改札でJR線の乗車券を渡し、「常総線一日フリーきっぷ」を購入します(1500円/大人)。


【常総線一日フリーきっぷ】
 関鉄 下館駅から取手駅間が一日、自由になるフリーきっぷ。1500円(大人)。

【関鉄 気動車】
 関鉄の鉄道部門ではドル箱を稼ぎ出すと言われる、常総線の気動車。


■老朽化した騰波ノ江駅
 出発した気動車に20分ほど揺られていると、騰波ノ江駅に到着です♪。

 イベント「駅からハイキング」が行なわれている関係で、ホーム駅前駅員、係員などで賑わっています。イベント参加者も2,30名ほどいらっしゃるので、それなりに活気がありいい感じ。それでも、受付開始時(9時頃)は行列が出るほど混み合っていたそうです。
 受付でイベントのマップ(地図)と、下妻市のパンフレット、下妻駅からの時刻表などをいただきます。イベントスポンサーである(?)大塚製薬のアミノドリンクもいただきます(^^)♪。のどが渇いていたので、一気飲みしてしまいました(^^;)。

【騰波ノ江駅 ホーム】
 「関東の駅 百選」に選ばれている騰波ノ江駅は、対向式のホーム。


【騰波ノ江駅 駅看板】
 上部がアールを描いている駅看板です。

【縦型 駅看板】
 この手の駅看板は、地方路線独特です。


【名所案内】
 今日は関城跡に訪問します(^^)。

【騰波ノ江駅 軒先】
 雨の似合いそうな駅舎ですなー。

 しばし、騰波ノ江駅を撮影。
 日の高い時間帯にこうして見ると、騰波ノ江駅のいい感じの廃れ具合と、悪い意味での駅舎の痛みが細かく確認できます。ほどほどに駅舎が古くなって“味”が出てくるのはかっこいいですが、あるラインを超えて「壊れかかったような」駅舎の痛みになってしまうのはいただけませんな〜(==)。


【改札】
 扉部分の格子が壊れています。

【荷物預け所】
 きっぷ売り場の左手に、荷物を預ける窓口。


【関東鉄道常総線 騰波ノ江駅 駅舎】
 明るい時間に訪問したのは今回初めて。低層の駅舎は長い年月の中、主要構造部に痛みが出ている可能性があります。遠目に見ると、屋根のラインがゆがんでいます。木造なので、木の多少のゆがみは構造上吸収できますが、長期に駅舎を使っていくことを考えると、一度検査をしたほうが良いように思います。。


【駅員宿直室】
 駅舎の左手には駅員が寝泊りできるような、宿直室があるようです。

【駅からハイキング 受付】
 会員カードを使い、受け付け処理をします。イベント地図やソフトドリンクがいただけます。


【荒廃の激しい騰波ノ江駅 宿直室を盗撮する】
 戸は壊され、屋根はめくりあがっています。雨どいも壊れています。こういう部分から雨水が入り、建物の荒廃をいっそう進めてしまうのです。。騰波ノ江駅を関鉄(および下妻市)のセールスポイント(観光名所)として継続的に使っていく予定なら、一刻も早く手を打ったほうが良いでしょう!(><)。


■私の「駅からハイキング」スタート!
 騰波ノ江駅から歩き始めます。
 本来の「駅からハイキング」では大宝八幡宮方面に南下していくのが正しいコースになっています。しかし、私の「駅からハイキング」では、関城跡に行くことにしています(^^;)。

 騰波ノ江駅から見て西側に歩いていくと、すぐに関東鉄道 常総線の線路と踏切。踏切を渡り、ビニルハウスやナシ畑、民家の間を抜けてしばらく歩いていくと、広大な緑の草原が広がりました(^O^)。

【受付でいただいた地図】
 駅からハイキングでは、ハイキングコースの地図を配布しています。


【出発する】
 騰波ノ江駅前の道を歩き始めます。突き当りを左に行きます。

【騰波ノ江構内踏切】
 騰波ノ江駅から左回りでコの字を描くようにして歩くと、踏切があります。


【なし畑を歩く】
 道路は曲がりくねっているので、地図無しに目的地に着くことは困難です。。

【公民館の広場】
 神明という土地。騰波ノ江駅からかなり歩いています(−−;)フウフウ。


【鳥居】
 広場には鳥居。鳥居の延長上に拝殿がありますが、時間が無いのでパス。

【いくつかの石】
 「十七夜供養」「十九夜供養塔」「二十三夜供養塔」などの石が並んでいます。


 右手にはこんもりとしたがちょこんとあります。あの盛り上がったところが「関城跡」のようです。


【緑の草原が広がる】
 神明から少し歩き、民家の間を抜けると、遠くに広大な田んぼが広がります。

【右手に盛り上がった土地】
 持参した地図によると、あの盛り上がったところが「関城跡」のようです。


 40分ほど地図で確認しながら歩くと、内沼川「国指定史跡 大宝城跡」の碑。
 うーん、関城ではなく、大宝城ですかー。よく調べてみると、この辺り一体は大宝城関城の土地が微妙に絡み合っているようですねー。


【盛り上がった土地に到着】
 お城があっただけあり、土地が盛り上がっています。この道を歩いていきます。

【「大宝城跡」の碑】
 歩いていると、このような碑がところどころあります。国指定史跡と書かれています。


【木々に包まれていく】
 道なりに歩くと、木々に包まれていきます。

【右手に案内板】
 右手に何かありそうな気配。


■国指定史跡 関城跡
 少し傾斜の掛かった森の中に入っていくと、「国指定史跡 関城跡」の案内板があります。
 関城最後の城主だった、関宗祐之墓
 お城の跡ということあってか、周辺にはお墓の石がいくつかあります。


【茨城百景 関城跡(包括風景)】
 関城は南北朝対立上乱の時代、小田城や大宝城と共に南朝勢力の拠点になりました。興国4年(1343)城主 関宗祐(せきむねすけ)の戦死で落城します。小田城で北畠親房が書いた『神皇正統記』は、ここで補修、完成しました。国指定史跡。


【「史蹟 関城址」の碑】
 関城は3方を大宝沼に囲まれ、城の防護の面から、たいへん優れた土地です。

【関宗祐の墓】
 関城主 関宗祐の墓の他、年代の違う様々な墓石や碑が敷地内外にあります。


■坑道跡
 近くに「坑道跡」があるようなので移動します。
 工事用材置き場のような場所の横を歩いていくと、右手に木々が集まったような場所。柵で囲われており、案内板もあります。ここが「坑道跡」のようです。しゃがんで覗き見ていると、穴は奥まで続いている感じ。

 この辺りは昔、沼地(大宝沼)で土地は軟弱。当時(南北朝時代)、坑道を掘った際も、地盤が軟弱のため坑道を掘るのは中止されました。
 坑道は大正9年に偶然発見され、日本三大坑道のひとつとして知られています。

【「坑道跡入口」の標識】
 道に戻り、少し歩くと「坑道跡入口」の標識。ここを右折することにします。


【未舗装の道を歩く】
 木がこんもりとなっている所があります。

【柵で囲まれた穴】
 ここが「坑道跡」のようです。


【坑道跡】
 南北朝時代、関氏とは敵対関係にある北朝方の高師冬(こうのもろふゆ)が、関城の物見やぐらを攻め落とすために坑夫に掘らせました。近辺は大宝沼が存在するような、軟弱な地盤。坑道作戦は失敗に終わりました。


【とうもろこし畑】
 周辺はたくさんの畑。夏にはおいしいとうもろこしになることでしょう(^^)。

【なす】
 もう、収穫しても良いのでは!?(@@)。おいしそうななすです。


■関城跡の風景
 坑道跡入口近くには駐車場があり、そこには関城跡の周辺案内図が設置されています。お城があっただけにその敷地は広く、今見てきた関城跡の碑坑道跡などがほんの一区画であることが分かります。

 「大将山公園入口」の案内。ここから400mとのことなので、行ってみます。

 途中に2匹の赤ちゃん子猫タン。生まれたてのようで、目が開いていません・・・(´=ω=`)ニャー。

【関城跡駐車場】
 公共交通機関による関城跡のアクセスは難しいので、車の利用が良いかも。


【関城跡案内図】
 案内図により、関城がどのくらいの敷地であったのかが分かります。関城跡は現在は合併により、筑西市の管轄になりました。合併前の関城町が、こういう看板を設置する労力を惜しまなかったことに、素直に驚くばかりです。。


【「大将山公園入口」の標識】
 道路を挟んで反対側に「大将山公園入口」の案内標識があるので、行ってみます。

【道端に猫タン】
 近辺でまったく人に会いませんが、猫タンがいました(^ω^)ニャー。


【赤ちゃん猫タン:白】
 生まれて間もないようで、毛並みが揃っていないコネコタン。

【赤ちゃん猫タン:黒】
 こちらも同時期に生まれた猫タンなんでしょう。。ブルブル震えています(´=ω=`)。


■大将山公園
 案内が不十分で、曲がりくねったコースを歩いていくと迷子になりそうになります。。

 長年の?カンで迷うことなく、大将山公園を発見!(^^)。現在は公園になっていて、敷地内には「守永親王別宴之地」の碑。昭和46年に設置されました。

 公園は少し高台になっていて、広がる田んぼの風景は、まさに茨城百景。包括風景なのでここには茨城百景碑はありませんが、十分納得できます。

【「子供とびだし注意」の看板】
 このデザインは、水戸市内でも見ました。


【小高い場所に入る小道】
 本線の道路から小道が延びています。立て看板に「大将山」の文字があります。

【大将山公園 全景】
 広い空き地が広がります。奥に碑があるようです。


【『守永親王別宴之地』の碑】
 興国4年(1343)落城寸前の関城から守永親王をお送りするため、別れの宴を催した場。

【草先にとんぼ】
 今は6月。とんぼは秋のイメージなのに、いたるところで目にします。。


【大将山公園からの眺め】
 関城跡の一角にある大将山公園。当時、周辺3方を大宝沼に囲まれ、城として防御面から優れた土地であったようです。大宝沼は現在、水田になっています。


■大宝八幡宮に向かう
 関城跡を堪能したので、大宝八幡宮に向かうことにします。
 GPSと地図で方向を確認しながら進みます。
 この辺り一体は大宝城跡のようで、いたるところで「国指定文化財(史蹟)」の標識が建てられていることが確認できます。

 途中で自動販売機を見つけ、コカコーラで水分補給(==)。今日は暑く、すでにTシャツは汗でびっしょりです。

【大宝八幡宮方面に向かう】
 昔は大宝沼であった、水田風景を南下していきます。大宝城跡方面に歩く。


【関の橋】
 内沼川を渡ります。

【「大宝城跡」標識】
 関城と隣接していたのが分かります。


【真っ赤な花】
 これは何という花かしら(??)。情報求ム!。

【コンギク】
 茨城県内の道端でよく見かけます。


【DHA筑波きぬポークの工場】
 豚の絵があります。養豚場?。

【細い山道】
 田んぼ道から山道になります。


■敵返不動尊と十一面観世音
 30分ほど歩くと、小さな神社。


 北大宝踏切を渡り、大宝八幡宮の裏手に到着します。
 「十一面観世音」「敵返不動尊」があります。
 左側が「敵返不動尊」で、右が「十一面観世音」

【北大宝踏切】
 大宝城跡の北に位置します。


【赤い神社とあじさい】
 北大宝踏切脇の敷地には、赤い神社と公園があります。

【関鉄の線路】
 大宝駅方面を眺めます。遠くのこんもりとした木々が大宝八幡宮。

 
【踏切を渡り、大宝八幡宮方面へ】
 街中を歩くと大宝八幡宮方面と離れてしまうので、小道を進みます。

【田んぼの中を進む】
 道がなくなってしまったので、強引に田んぼの中を進むことに。。


【大宝八幡神社を回りこむ】
 田んぼを抜け、右手の山が大宝八幡宮(大宝城跡)。左に道が伸びます。

【小道の先に】
 「敵返不動尊」と「大宝十一両観世音」があります。


【敵返不動尊と大宝十一面観世音】
 書籍や管轄である下妻市の公式サイトにも出てこない文化財。。「敵返不動尊」は名称から察するに、南北朝時代に敵方の北朝を打倒するために建立されたのかと推測します。


【本町子供神輿舎】
 本町の子供神輿が収納されている建物のようです。

【住宅街に出る】
 道なりに歩いていくと、大宝八幡宮の森は遠くなり、住宅街になります。


■大宝八幡宮 あじさい園
 ここに来て、やっと「駅からハイキング」の本来のコースに合流することができました(^^;)。見覚えのある案内標識をたどって、大宝八幡宮に向かいます。

 楼門をくぐり、拝殿前へ。
 大宝八幡宮は狛犬がたくさんあるのが特徴。右手の狛犬は鞠のようなものを前足で踏んでいます。左の狛犬は小さな狛犬を踏みつけています(><)カワイソウ。(´・ω・)つ(=ω=)ギュウ
 大宝八幡宮 本殿の奥に行くと、あじさい園があり、あたり一面にあじさいが咲いています。

【コースに合流する】
 「駅からハイキング」のコースに合流することができました。


【「大寶村道標」の石】
 道端に下妻市に合併される前の大宝村(大寶村)の道標石が置かれています。

【大宝八幡宮の鳥居】
 ハイキングコースどおりに歩いていくと、大宝八幡宮の鳥居があります。


【大宝八幡宮 神門】
 この奥に本殿があり、さらに奥にあじさい園が続きます。

【子ども狛犬を踏む狛犬】
 狛犬を踏む狛犬なんて、初めて見ました(><)カワイソウ。


【大宝八幡宮 本殿(拝殿)】
 祭神は誉田別命(応仁天皇)、足仲彦命、気長足姫命の三柱。

【本殿の右手を進んでいく】
 本殿の右の小道を道なりに進んでいくと、あじさい園があります。


【大宝八幡宮 あじさい園】
 あじさいの見ごろとしてはベストの時期だったようです。園内には様々なあじさいが咲き乱れています。入園に関しては費用がかかりません。


【ガク あじさい】
 お盆のようなあじさいです。

【てまり形 あじさい】
 濃い紫色は上品な感じがします。


【かしわば あじさい】
 楽器の「ハンドベル」みたいな形。

【てまり形 あじさい】
 一般的なあじさいです。


【てまり形 あじさい】
 きれいなホワイトカラーです。

【棒先に止まるとんぼ】
 ここでもとんぼ。まだ6月なのに。


■関東鉄道常総線 大宝駅
 大宝八幡宮あじさい園で、あじさいを十二分に堪能させていただきました(^^)。あじさい園というだけあって、普段は目にすることのできない、あじさいの質、および量に満足します。

 関東鉄道 常総線大宝駅に行きます。
 大宝駅大宝八幡宮から徒歩で5分程度。住宅街の細い道を歩いていくと、突き当たりに大宝駅が現れます。大宝駅は簡易型の駅舎がありますが、待合所といった感じのつくりになっています。

 水海道駅方面から来た気動車で、下館駅に戻ります。

【関東鉄道常総線 大宝駅】
 駅舎と言うより、待合所といった感じの駅。


【大宝駅 線路側】
 扉は無く、雨風が吹きさらしになる駅舎。

【名所案内の看板】
 「あじさい神苑」の文字があります。



つづく:中館観音

 
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更新日 2005/10/10
2005年10月10日 UP

関連リンク
大宝八幡神社(20050501)
茨城王 講演会〜いばらきじゃなくていばらき しもづまじゃなくてしもつま(20041017)


 
【サイト紹介】茨城県土浦市で生まれ、すぐに県外で育ちました。「故郷は遠きにありて思うもの」とは言いますが、歳を取れば取るほど故郷への愛着は深まるばかり。1985年(昭和60年)3月17日から9月16日まで茨城県筑波研究学園都市にて開催された『国際科学技術博覧会(通称:科学万博-つくば’85)』〔EXPO'85〕の思い出を皮切りに、幼い頃よく連れて行ってもらった土浦駅を中心に活動の場を広げます。サイト開催当初は茨城県県南地域(土浦市・つくば市)を中心に活動を広げていましたが、現在では県央、県北、県西、鹿行と活動の幅を広げています。時には茨城県を飛び越え、常磐線つながりで「常磐線旧トンネル(廃トンネル)」を福島県まで求めたり、廃線となった筑波鉄道を散策したり。日立電鉄廃線の時には、最終列車に乗ったりします。祭り好き、花火好き、山車好き。茨城県の第一人者になるべく、足を使った泥臭い取材を心がけていく、「いばらき だいすき」なサイトです。将来の夢は茨城県で一花、いや、たくさんの咲かせること。故郷に錦を飾る予定です。

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