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平成の大合併により土浦市に編入した、旧・新治村。
旧・新治村の日枝神社(ひえ・じんじゃ)にて、鎧武者が馬に乗り、弓矢で的を射る神事、『流鏑馬祭り』が行なわれます。 |
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10時頃、家を出ます。
今日は茨城県土浦市(旧・新治村)の日枝神社(ひえ・じんじゃ)にて、「流鏑馬祭(やぶさめ・まつり)」が行なわれるのです。
先月、新治村は土浦市に吸収合併され、新・土浦市になりました。その記念すべき合併後の流鏑馬祭なのです。
■常磐線の白電
10時45分、柏駅に常磐線の白電が入線してきます。
このところ常磐線は新型車両E531系に乗る機会が増え、白電に乗るのは久しぶりかも〜(*^^*)。左手のボックス席を確保。土浦駅を目指します。
天気予報では、本日午後から雨が降る模様。 |

【常磐線 白電】 |
新型E531系が増えていく中、残り少なくなっていく“白電”。 |
11時30分頃、土浦駅に入線します。
suicaを改札に通し、KIOSKで茨城新聞と常陽新聞を購入します。
バス乗り場5番線に行くと、下妻駅行きのバスが出発を待っています。バスは11時50分出発なので、バスに乗り込み出発を待ちます。
■バスの中からの風景
同50分。バスは出発。
イトーヨーカドーのうらら広場ではイベント。亀城公園では土浦さくらまつりが開催されています。亀城公園のさくらまつりは今日がイベントデーで、様々な催し物が執り行われています。
神社の桜や、常陽新聞本社前の新川沿いの桜も今が見ごろを迎えています。
本日向かう、日枝神社の最寄バス停はいくつかある中の「高岡」に決めています。
およそ20分ほどで、バス停「高岡」に到着。 |

【外国車の販売?】 |
イトーヨーカドーのうらら広場で、車の即売会が行なわれているようです。 |
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【亀城公園】 |
土浦さくらまつりが開催中。 |
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【新川】 |
常陽新聞新社に続く、新川。 |
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■バス停「高岡」から日枝神社へ歩く
バス停「高岡」前には、商工会館があります。
GPSと持ってきた地図を見比べながら、日枝神社の方角に歩き始めます。集落の中を歩いていくと、辺りは開け、田畑が広がります。周囲は筑波連峰。
時折吹く強い風を浴びながら、一歩一歩日枝神社に向かいます。地図上では3,4キロ程度の距離がある感じなので、徒歩で30分程度と踏んでいます。 |

【バス停「高岡」】 |
日枝神社に近いであろうバス停。それでもここから徒歩で30分近くの距離があります。 |
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【旧・新治村商工会館】 |
まだ「新治村」のプレートが残る、商工会館。 |
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【高岡地区のしだれ桜】 |
商工会館から日枝神社方面に行く途中の集落に咲いている、しだれ桜。 |
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■日枝神社(茨城県土浦市:旧 新治村)
沢辺地区の処理場を越え、山王橋を渡ると、車がたくさん停まっているのが確認できます。どうやらあそこら辺に日枝神社があるようです。
警備員も数名いて、事前準備は万端。日枝神社の碑もあります。
境内の方向と思われるこんもりとした木々の中に入っていくと、鳥居。
この参拝道がそのまま流鏑馬の会場と使われるようで、右手に的を設置する設備が確認できます。 |

【車がたくさん停まっている】 |
先の木々の辺りが日枝神社と思われます。 |
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【日枝神社の碑】 |
側面には「敬宮愛子内親王殿下御誕生」の文字。比較的最近建てられた碑のようです。 |
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【参拝道(流鏑馬会場)】 |
神社の境内に踏込むと、ここが流鏑馬の会場であることが分かります。 |
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【日枝神社】 |
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境内には幟が立てられています。出店もいくつか出ているし、たいへん賑やか。 |
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参拝道を歩きつめると、日枝神社の拝殿が現れます。左手にはいくつかの出店。
拝殿前のスペースでは、田宮囃子保存会によるお囃子の演奏が行なわれます。
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【田宮囃子保存会によるお囃子】 |
こういう時代に、文化が継承されていることに驚きと敬意を感じます。 |
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【流鏑馬の的】 |
流鏑馬の的は、竹に薪が固定された状態のものを使用します。 |
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■名馬 ハーフディンガー
お囃子演奏の時間を利用して、日枝神社の神殿などを確認するために、ぐるりと回っていくと白いお馬ちゃんがいました〜(^^)。
三頭のお馬ちゃんは、大変おとなしい。しかし、足腰は立派で、その辺のロバ馬とは異なります。係りの方にお伺いすると、この馬はハーフディンガーというオーストラリアの馬だそうです。大変おとなしいながらも、流鏑馬のようなアクティブな動きにも対応できる優れた馬。まつりつくばで馬に乗るイベントなどにも参加しているとのこと。
こうしたおとなしいながらも、実力のある馬を育てることが、馬主として冥利に尽きるそうです。 |

【ハーフディンガー】 |
力強くもおとなしい馬。なでなでしても、暴れることなくじっとしています(^^)。 |
花火が打ちあがります。
■土浦市関係者の挨拶
拝殿前では、土浦市長をはじめ、土浦観光協会長などが集まり、挨拶が行なわれます。
何せ、土浦市と新治村が合併しての始めての流鏑馬。市長も今回初めて(旧・新治村の)流鏑馬をご覧になられるそうです。 |

【関係者による挨拶】 |
土浦市内の各長による、挨拶が始まります。 |
流鏑馬会場に移動。「一の矢場」と呼ばれる場所で、カメラを構えます。
ここで流鏑馬について。
土浦(旧・新治村)の流鏑馬は、村に農作物を荒らす大猿が出て、その大猿を退治することが目的となって始まりました。よって、動く動物を狙い済ませる必要があるため、他の流鏑馬と異なるのが、馬を的(猿)の前で止まらせてから弓を射るのです。他の地域では馬を走らせながら弓を射るパターンが多いことと思われますが、この辺りが特徴になっています。
■日枝神社 流鏑馬祭
最初は「従羅天(じゅらてん)」。
「村に大猿が出て、退治するために弓の名手を呼びに行く」というシーンになります。馬に乗った男が名手を呼びに馬を走らせます。その後に、たくさんの子供たちが追いかけていきます。
役員の行列があり、神輿が静かに担がれていきます(神輿渡御)。
「人身御供」。子供がお供えとして差し出されるシーン。俗に言う「生贄(いけにえ)」のことです。 |

【従羅天(じゅらてん)】 |
村に大サルが出没し、退治してもらうため弓の名人を呼びに行くシーン。 |
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【神輿渡御】 |
役員の後を神輿が担がれていきます。 |
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【人身御供】 |
子供(稚子・ちご)が生贄として差し出される。 |
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人身御供で何回かの往復の後、的が用意されます。いよいよ流鏑馬が始まるようです。
勢い良くやってきた馬が的の前で止まり、弓が射られます。スパーンと矢が的に突き刺さり、辺りから拍手が起こります(^人^)パチパチ。 |

【的が用意される】 |
的は大サルの代わりとして使われます。 |
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【弓を射る】 |
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流鏑馬でよく観るシーン。多くは馬を走らせながら弓を射りますが、土浦の流鏑馬は「動き回る(逃げ回る)大サルを確実に仕留める」のを目的とするため、馬を静止させて射るのです。 |
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【何度も往復する】 |
拝殿と的の間を7回往復します。 |
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【的を奉納する】 |
矢が当たった的(大サル)を奉納します。 |
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流鏑馬が終わるのを待っていたかのように、雨がぱらぱらと降ってきます。
風も強くなってきました。
■茨城百景 山の荘
境内の石を確認していくと、真四角の茨城百景碑を発見します(@@)。もともと別の場所にあったものが、道路拡張工事で破損してしまい、再建された旨が表記されています。
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【茨城百景 山の荘】 |
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茨城百景は昭和24年に制定され、碑が各地に建立されました。この「山の荘」は、昭和62年の道路拡張時に本来の碑を壊してしまったため、再建したとのこと。 |
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天気が良ければ、小野小町の墓などにも立ち寄るつもりでしたが、本日はこのまま駅方面に戻ることにします。しばらく雨宿りしていると、雨脚も弱くなってきたので、歩き始めます。
石造五輪塔。金嶽神社。
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【石造五輪塔】 |
永正12年(1516)、天台宗の頭白上人が母の供養のために建立。 |
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【金嶽神社】 |
天正2年(1574)に小高知常が創建したのが始まり。何度かの移設再建でこの地に。 |
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■雨脚が強くなってきたので帰ることにします
小高地区のところで、再び雨脚が強くなってきたので、持参した雨具に身を包みます。さすがゴアテックス製の雨具は、防水効果が高い♪(^^)。
バス停「高岡東」でバスを待ちます。およそ30分ほど。バスはノンステップタイプ。
すっかり遅くなってしまったのと悪天候で、亀城公園のさくらまつりはパスすることにします。。
土浦駅構内のマクドナルドで軽く食事。
18時過ぎ、2,3番線ホームに下ります。少し早い時間のためか、車内は混んでおり、座ることがやっとできる程度。。ゆっくりボックス席に座って帰宅することができませんでした・・・。
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