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 港公園と神之池(ごうのいけ) 
茨城県神栖市鹿行) : 2006年1月8日(日)取材

 鹿島神宮で白馬祭(おうめさい)を堪能し、そのまま宿泊してしまいました。翌日は、以前から訪問したかった、神栖方面に向かうことにします。あまり多くない路線バスと徒歩を駆使し、港公園、神之池(ごうのいけ)を訪問。探すのは茨城百景「鹿島砂丘と神の池」。

 茨城百景が制定されたのは昭和25年。60年近く経過した神栖市の風景は大きく変わりました。観光として発案された「サンドスキー」の鹿島砂丘は「鹿島臨海工業地帯」として生まれ変わり、神之池もまた、開発の名の下、干拓されて池の形状が変わりました。
 そんな神栖市の現在をレポートします。


■路線バスで神栖市に向かう
 8時ころ起床。こちらの旅館(吉見屋)はチェックアウトが9時なので、早目の行動が必要なのです。荷物を整理し、8時50分過ぎにフロントを返し、チェックアウトします。

 本日訪問するのは鹿島臨海工業地帯である神栖市(かみすし)方面。港公園神之池に行く予定です。神栖市には茨城百景『鹿島砂丘と神の池』(ママ)があるのです。

 バスの時刻を確認すると、30分くらい待ち時間があるので、コンビニ朝食を購入します。

【旅館吉見屋 フロント】
 急な宿泊に対応していただきました。


【旅館吉見屋】
 鹿島神宮前の大町通りにある老舗旅館。

【バス停「大町」】
 ここから神栖市方面に向かいます。長旅。

 バスの時間。バスに乗車すると、地元の方が5,6名と、バス旅の少年がすでに乗っています。KOUJINN(旅人)はまず港公園に行きたいので、下車すべきバス停「木崎」まで乗ります。


【バスから撮影:鹿島バスターミナル】
 桜町にある、鹿島バスターミナル。東京駅からの高速バスも、もちろん停車するバス停です。

【バスから撮影:鹿島臨海工業地帯】
 バスで15分ほど。左手に広大な更地が広がり、遠くに工場や煙突が見えます。


■バス停「木崎」から港公園まで歩く
 持ってきていた地図バス路線図GPSが効率よく機能し、国道124号沿いにあるバス停「木崎」で下車できます(^^)。およそ20分ほど。580円。

 ここから歩いて港公園に向かいます。工業地帯だけあり、大きな敷地に広大な工場が広がる地域です。うんざりするほど長い道路。。歩いている人は全然おらず、全員がでの移動をしている地域。

【バス停「木崎」】
 目的地の皆と公園へは、ここが一番近いバス停になります。距離は道のりで4キロ程度。。


【案内標識】
 国道124号沿いから、県道239号に入り、向かうは港公園。

【国道124号】
 4車線の国道124号から左の県道239号に入ります。


【「建設省 土木研究所 鹿島試験所跡地」の碑】
 国道124号沿いに広がる更地の一角に、こんな碑が。。
 『昭和36年に建設省の土木研究所が設置されました。昭和54年に筑波研究学園都市(茨城県つくば市)に移転。現在もたゆみない努力を続けております。』という趣旨の文面。。 
 ここに、神栖市とつくば市がつながる一つのカタチが見えてきました(@@)イガイナカンジ。


【県道239号を歩く】
 長々と続く無機質な道路を、歩きます。。目につく建築物も無いし、ストレスがたまります。。

【鹿島臨海鉄道の踏切】
 現在では旅客運行を行なっていない、貨物線のほうの線路が現れます。踏切。


【「港公園」の文字が見える】
 バス停「木崎」から歩くこと30分ほど。案内板には「港公園」の文字。もう少しです。

【UFOみたいな塔が見えた】
 あの塔がある場所が港公園のはず。


■港公園 展望台
 40分ほど歩き、港公園に到着します。公園にはシンボルとなる展望塔がそびえます。

 港公園鹿島港が隣接。海岸沿いでは地元の方々が、釣糸をたらしています。

 公園内をふらつきますが、茨城百景碑はありません。当然です。茨城百景が制定されたのは昭和25年。ここ港公園が作られたのは、昭和30年代ですから、時代が異なります。
 すんなりとあきらめ、神之池に移動します。

【港公園 展望台】
 公園のシンボルとなる展望台。


【鹿島臨海工業地帯】
 辺り一体は工業地帯が広がります。無機質な街並みですが、こうして公園が設置されることで、住民達の憩いの広場になっています。まちづくりにおいて、公園の存在というのは、言葉で表しにくいほど重要な存在です。


【展望台 定礎碑】
 竹内藤男県知事(当時)が昭和55年8月に建立した定礎碑。

【港公園 碑】
 岩上二郎県知事(当時)が昭和50年2月に建立した碑。


【岩上二郎先生顕彰之碑】
 かつて茨城県知事であった、岩上二郎(いわがみにろう)先生の功績を称える碑。鹿島臨海工業地帯の草創期に知恵と体力を提供した、岩上二郎先生無くして、現在の神栖市、鹿島市の工業は存在しません。。


【お昼代わりの食事】
 出発前にコンビニで調達しておいた、調理パンとコーンスープ。お店が無いので重宝。

【船が接岸する】
 ここだけ切り取って見ると、茨城県とは思えない風景です。


 神之池神栖市役所がある裏手。先ほどのバス停「木崎」があった国道124号線まで戻らなければなりません。
 車の交通量がほぼ100%で、歩くのに困難な道路が多い(==)。こういう土地もあるんですねー。完全な車社会ですなー。


■旧・神栖駅 (鹿島臨海鉄道株式会社 社屋)
 戻る途中で、鹿島臨海鉄道のかつて旅客運営を行なっていたという、神栖駅に立ち寄ります。

 表向きからは鹿島臨海鉄道株式会社の社屋にしか見えませんが、車両を置くスペースが十分に設けられていたり、貨物ボックスが山積みになっている光景を見ると、ただならぬ場所であることは雰囲気でつかめます。

【鹿島臨海鉄道】
 現在では旅客運行をしていない、神栖市側に鹿島臨海鉄道の本社社屋があります。


【かつての神栖駅】
 現在は旅客運行がされておらず、名目だけの“駅名”となっています。

【車両洗浄中】
 鹿島臨海鉄道の車両が洗浄掃除中です。


■神之池(ごうのいけ)を歩く
 国道124号まで出て、すき家クリーニング屋さんの前を歩いていきます。

 左手に旧道らしき道があり、ここから入ったほうが近道であることは地図で分かっているので入っていくと、目の前に公園の駐車場になりました。管理棟らしき建物を横切って進んでいくと、目の前に対岸がすぐ見える、細長い池が現れました。ここが「神之池(ごうのいけ)」なのですなー。

【国道124号沿いのすき家】
 神栖駅から再び国道124号に戻ってきます。


【国道124号裏手の道】
 持参した地図によると、こちらに神之池があるはず。

【神之池(ごうのいけ)】
 茨城百景にも指定されている神之池。対岸がすぐ向かい側に見える、変な形の池です。

 この神之池周辺のどこかに、茨城百景『鹿島砂丘と神の池』(ママ)があるはずなのです。
 具体的に茨城百景碑「池の“どこ”にある」という情報までは持ち合わせておりません。なので、ぐるりとを一周してみるしか散策方法は無いのです(^^;)。ちょうど神之池の西側の端にいますから、時計回りに歩いていくことにします。一周4キロ近くあります・・・。

 うーん、このパターンは茨城県水戸市(赤塚)茨城百景『水戸城西ハイキングコース』「大塚池」のパターンに似ていますな〜(−−)。あの時も歩いて、結局最後の最後、ゴールする直前で見つけたんです。今回はすんなりと見つかればいいなーと思いながら歩きます。

 を見ると、表面にうっすらと氷が張っています。例年この地域はが張ることってあるのかしら(´・ω・`)?。それとも今年が特別寒く、たまたまが張ったのかしら?。もし、今年だけの例外であるのならば、こうやって訪問できたのも何かの縁です(^^)。
 の遠くを見ると、水面に立つ鳥さんたち。が凍っていて、そのの上にが立っているのです(*^^*)。ちべたそうです(><)。


【凍った神之池の氷面に立つ鳥さん】
 このところの寒さにより、神之池も凍っております。鳥さんたちが氷面に立っていますが、足がちべたくないのかしら?(≧O≦)ブルブル。

 にはカモちゃん。
 立派な4基の送電塔


 神之池の北西端に来ました。から離れて道なりに進むと、線路鹿島臨海鉄道の線路ですねー。この線路の先に、先ほど立ち寄った神栖駅があります。さらに先には野球グラウンド

 敷地には道路が隣接しており、この道を使えば先ほどの港公園からのアクセスが近かったようです。印刷してきた地図だと、この道は公道かどうかが不明瞭で、通れるのか分からなかったので使いませんでした・・・。遠回りしてしまったことになります(==)。

【踏切「公園踏切」】
 鹿島臨海鉄道の線路は、神之池の公園内にも線路が引かれています。


■神之池の鳥さんたち
 神之池に戻り、歩いていくとカモ白鳥たち。

 カモは近づくや否や、サーっと沖のほうへ逃げてしまいかわいくないのですが、白鳥は近くに寄ってきたりしてかわいい(*^^*)。えさを持っていればあげたいところです。しかし、KOUJINN(旅人)は自分のお昼ご飯すら食べていない状況なのに、鳥のえさなど持っているはずがありません!。

【愛らしい白鳥】
 神之池脇のウォーキングロードを歩いていると、白鳥ちゃんはスィーっと近づいてきます。

 池の長尺方向中間地点
 を横断することのできる「ふれあい橋」があります。広場側には噴水

 を渡り、対岸へ行くことにします。
 は中央部分が固定軸になっており、途中の歩道はぷかぷか浮かせる浮き輪構造のようです。なので、歩くとゆらゆらと橋が揺れます。


【ふれあい橋】
 神之池の真ん中辺りにある橋。神之池を横断することができます。橋はプカプカ浮いています。

【えさをすくうカモちゃん】
 池表面に浮かぶえさを、くちばしで上手にすくって食べているカモちゃん。


■神之池周辺の風景
 を渡りきると、目の前に大きな建物。公共施設のようです。まだ時間はありますし、この建物をぐるりと見ていきます。

 建物の正面側には「平和の塔」と呼ばれるモニュメントがあります。
 道路側には「水神社」神之池の水にからむ神社なのでしょうか。ここだけぽつんと時間が止まってしまったような空間です。
 すぐ隣が「神栖町内巡回バス」ステーションです。2台のバスが出発を待っています。地域バスですねー。

【平和の塔】
 神之池に隣接する空き地に設けられた塔。


【水神社】
 神之池からかなり離れた場所にある神社。“水”というからには、神之池と関連がありそう。。

【神栖町内巡回バス】
 神栖市内を巡回する、地域バスのようです。右回りと左回り便があります。


■神栖市の成人式とKOUJINN(旅人)の成人式
 平和の塔がある建物に戻ります。辺りには晴れ着を着た女の子たち♪(*^^*)。
 そうかー、今日(1月8日)は「成人式」を行なっているんですねー。晴れやかな着物を着て皆、楽しそうです。

 KOUJINN(旅人)の成人式は雪の降る、寒い日でした・・・(−−)トオイメ。それでも数年ぶりに会う同級生たちと会話が弾み、楽しかったことを思い出します。今思えば、若ければ何でも挑戦できたんですね〜。当時はそれがよく理解できませんでした。しかし、こうして歳を積み重ねていって、言葉の意味が少しずつ分かってきた気がします。
 「光陰矢のごとし」「少年老いやすく、学成りがたし」と言います。その日その日を大事にしないとあっという間に人生は終わってしまいます。その瞬間、瞬間に爆発し、成熟させる。そして再び、瞬間瞬間を爆発させ、成熟させる岡本太郎が残した言葉です。。

 だからKOUJINN(旅人)もこうして、茨城のことについて積極的に瞬間瞬間を生き、成熟させていこうと努力しているのです。。生まれた土地である茨城をもっともっと理解したい。古き良き歴史と、新しき科学が生まれる茨城。大自然の山と川と海で構成された県北地域。城下町として栄え、国の発展のために力を発揮した県央地域。醤油や味噌をつくり、わかさぎ漁で生計を成した県南地域。水(川)に恵まれ、広大な土地を農業に活かした県西地域。神聖なる鹿島神宮が人々の心を満たし、後に工業地帯として生まれ変わった鹿行地域。これほどまで縦横無尽に力を持つ県土が他にあるでしょうか。
 おっと、また自分のことをしゃべりすぎてしまいました(-ω-*)。


【神栖市公民館】
 公民館からは時折、晴れ着を着た女の子が出てきます。そうか、今日はハッピーマンデー法による「成人式」が行なわれているんですねー。成人式と知って、KOUJINN(旅人)の妄想が広がってしまいます・・・(〜▽〜*)・

 いずれにせよ、成人を迎えた皆さんには、悔いの無い人生、爆発させる人生を歩んで欲しいものです。個人が持つ能力を発揮させ、絡み合えば力は2倍にも3倍にもなります。個人個人が十分に力を発揮させることが重要です。
 鹿島といえば、サッカーの神様ジーコジーコ「作戦に選手を当てはめる」のではなく、「選手の能力を掛け合わせて作戦を作る」そうです。トルシエ「自分の型にはめて」いった。ジーコ選手の型でチームを作っていく。発想が逆なんですねー。
 これからの時代、ジーコのような考え方の社会になっていくとKOUJINN(旅人)は考えています。
 個人個人が力を持ち、その力が掛け合わされて社会が形成されていく。今までの社会は国がレールを敷き、そのレールに乗れないと社会に参加できませんでした。しかし国はレールを敷くことを控える政策に転換しています。つまり、レールの無いところを各地方自治が独自の考えで突き進みなさいとしているのです。
 こうなった場合、レールしか歩けない人は、適応できなくなっていくはずです。
 自分で道を作り、それが評価され実になる。そういう個々の力が求められるようになるのではないでしょうか。


 空を見上げれば、3つの旗。飛行機雲を伸ばしながら飛ぶ飛行機


【3つの旗】
 茨城県と日本と神栖市の旗が、風にたなびきます。成人式を祝うかのような晴天。

【飛行機雲の飛行機】
 方角から言って、成田空港からアメリカ方面に向かう国際便なのかしら(??)。


■神之池の風景
 再び神之池に戻ります。

 先ほど「ふれあい橋」を渡ってきてしまいましたので、8の字を描くようにして歩くことにします。

【神之池に戻る】
 このまま左回りに歩くことにします。


【神之池 出島に3つの三角すい】
 神之池には出島が2つあり、そのうちの一つは“3つの三角すいの塔”と、“砲台”のようなモニュメントがあります。本当のところ、どういった意味があるのかは確認できず。。


【神之池 中央方面を眺める】
 神之池の北東部の端まで来ました。振り返ると細長い神之池がずっと続きます。

【神之池の端(北東側)】
 神之池の北東部に当たる端。ここをくるりと左回りで歩きます。


■シャリシャリの神之池
 池の水は西から東に打ち寄せる力が強いようで、東南側に当たる歩道側の池の淵には、ザプンザプンと水が強く打ち寄せられています。
 池の東の端まで来たので、ぐるりと回って、進路が西向きに変わります。

 耳を澄ますと、シャリ…シャリ…と、聞きなれない音がのほうからしてきます。歩道から芝生に入り、池の淵まで寄ってみます。すると、池の氷が鋭くとんがって凍りつき、割れた窓ガラス片みたいになって集まっています。そのたちが波で打ち寄せられるたびに擦れあい、シャリシャリと音を発しているのです(@@)。

【シャリシャリ音がする・・・】
 神之池をぐるりと回りこむと、池のほうから「シャリ…シャリ…」と音がします・・・。


【シャリシャリの神之池】
 凍った池の表面の氷が打ち寄せる波で集まり、こすれあって「シャリ…シャリ…」と音を発していたのです(@@)。


 うーん、こんな光景を見るのは生涯初めてです。これほど大きい池が部分的に凍っている姿を見るだけでも感動モノなのに、さらに尖った氷が芸術作品のように集まっているのを見られるなんて、なんと幸運なのでしょうか!!(≧▽≦)。

 まさに「神」の「池」と形容したい光景です!!。

【まるでガラス片】
 窓ガラスが割れたかのような氷。


【鋭く尖った氷たち】
 まるで芸術作品のような光景。まさに「神」の「池」、神之池です!!(≧▽≦)。


 歩道を歩いていくと、先ほどのふれあい橋についてしまいました・・・。探していた、茨城百景碑は見つかりませんでした・・・(==)。

 こうなったら、神栖市役所の敷地内も探してみるしかありません。次の散策パターンは、茨城県大子町の茨城百景『大子の史蹟』で見つけた、「役場の敷地内に碑があった」で探します。

【再び歩く】
 茨城百景を探していることを忘れそうになりました・・・。再び歩きます。


■神之池の歴史
 を渡り、市役所方面に向かう為、神之池の最後の一遍を歩きます。
 神之池の案内板を発見。

 神之池は今から約1400年前に淡水の池になったといわれるそうです。奈良時代に書かれた『常陸国風土記』「寒田(さむた)」として登場して以来、神栖市(現在)のシンボルになっています。神之池は多くの生物を育み、漁業、狩猟の場として活躍しました。

 江戸時代には用水池としても利用され、周囲の田畑を潤しました。

 昭和44年(1969)に鹿島港建設のため、神之池は干拓され、池の大きさは約7分の1に。現在では農業調整池として活用されています。

【看板「神之池」】
 神之池の歴史が書かれています。←が内容。


【鳥さんたちが整列して並ぶ】
 等間隔で鳥さんたちが並んでいます。池も凍るような寒さで、日向ぼっこなのでしょう。

 なるほどー。現在の神之池は細長く、「変な形の池だなー」と漠然としていましたが、干拓された歴史があったんですねー。鹿島港があった部分はもともと、鹿島砂丘と呼ばれる砂浜の土地だったそうです。昔の資料を紐解くと、その砂丘を利用して、「サンドスキー」と呼ばれる、砂のスキー場を運営していた時期もありました。
 当時の砂丘の風景は現在見ることができませんし、昔の神之池も資料を通してしか見ることができません。当時の資料だと、神之池の周りは整備されておらず、がぼうぼうに生えていて、「田舎の汚い池」みたいな印象。そういう意味では、こうして現在、整備された神之池を見ると、「整備されて良かったのかなー」と感じる部分もあります。

 そうかー。すると先ほどの「水神社」が国道沿いにありましたが、神之池は干拓される前、あの付近までが広がっていて、神社のすぐそばにがあったのかもしれないですねー(@@)。そうであれば、地理的にも雰囲気的にも理解することができます(^^)。


■茨城百景 鹿島砂丘と神の池
 から国道方面に目を向けると、いかにも“役場”っぽい建物が目に入ったので、表側に回ってみます。
 建物は「神栖商工会議所」

 道路側に碑がいくつか立っています。回り込んでみると、3つの碑。真ん中が、茨城百景『鹿島砂丘と神の池』です〜!(^O^)。

【神栖商工会議所】
 神之池から見えていた建物は、商工会議所でした。


【茨城百景 鹿島砂丘と神の池】
 茨城百景が制定された昭和25年とはすっかり景観が変わってしまった鹿島臨海工業地帯。鹿島砂丘は工業地帯として生まれ変わり、神之池は開発に伴い、一部を残し干拓されてしまいました。しかし、それもまた歴史なのです。。

 を撮影し、一安心♪。いやー、今日はかなり歩きましたが、が見つかったので報われました。ぱっと見つかることもあれば、散々歩き回っても見つからないこともありますし、こうして動き回って見つけられることもあります。結果オーライです。


■すき家が好きや
 時間は15時を回っています。お昼ごはん港公園調理パンを食べただけです。お腹がすいています・・・。

 先ほど見つけた「すき家」牛丼をいただくことにします。
 鹿島神宮駅に戻る路線バスは15時48分に来る予定なので、まだ時間は大丈夫。
 すき家に入るのは、生涯初めて(−−*)。

 今日は頑張っちゃったので、「牛丼特盛+サラダセット」を注文します。650円。
 牛丼吉野家とほぼ同じ味付けです。肉の切り方が、すき家のほうが細かく、箸では食べづらいかも。。スプーンだと食べやすそうですね。15時40分前に店を出て、バスを待ちます。

【牛丼特盛+サラダセット】
 牛肉の味付けがKOUJINN(旅人)好み♪。すき家で初めて食べましたが、これはうまい。


■誰も乗ってこない路線バス
 バスは10分ほど遅れてやってきます。

 KOUJINN(旅人)が乗車してから、終点のバス停「鹿島神宮駅前」まで乗車してくるお客さんはおらず、大型タクシー状態です(^^;)。利用者の少ないバス路線は、今後どんどん廃止されていくのでしょうが、神栖地域につながる公共交通機関バスくらいしかないので、路線の廃止は避けて欲しいものです。

 明日も休み(9日:祝日)だし、宿泊していくことにします。今宵は水戸に泊まることにしよう。ならば、いつもの東横イン。携帯から予約を入れます。部屋の空きが確保できました。

【鹿島神宮駅行きのバス】
 鹿島神宮駅に向かう路線バス。終点まで他に乗ってくるお客さんがおらず、今後が心配。。


■鹿島神宮駅から水戸駅に向かう
 16時30分過ぎ、鹿島神宮駅に到着。気動車は17時6分の出発で、少しだけ時間があります。
 駅前のイルミネーションを撮影したり、駅周辺を散策。駅構内のキヨスクは朝7時20分から午後15時55分までの営業なので、買い物をすることができません・・・(==)。


【東京駅行きの高速バス 時刻表】
 鹿島神宮駅前から、東京駅に直通する高速バス。一度利用してみたいものですなー。

【気動車が入線してくる】
 水戸方面から気動車が入線して来ました。折り返し水戸駅行きになります。


 鹿島神宮駅から水戸駅まで、およそ1時間30分の長旅です。

 18時30分ころ、水戸駅に入線。荷物をまとめ、エスカレータを上ります。
 構内改札にきっぷを見せ、自動改札きっぷを入れて改札の外へ。

【大洗鹿島線の気動車】
 背もたれがパタンと倒せ、座る向きを変えられます。北海道の快速エアポートと同じ感じ。


■東横インの“限定”無料夕食 「キモチ・キーマカレー」
 から歩いて10分。東横インにチェックインします。

 今宵は日曜。水戸駅南口店は、日曜と月曜の夜だけ「無料夕食サービス」を行なっているのです♪(^^)。チェックイン受付したまま、ロビーの席を確保し、無料夕食をいただきます。今日のカレーは、微妙にそぼろが入っていて、「キモチ・キーマカレー」のような雰囲気。いつもより辛いような気がしますが、おいしい〜(^O^)。

【キモチ・キーマカレー】
 東横イン 水戸駅南口店の“限定”夕食サービス。本日はそぼろ入り。気持ちキーマ風。

 夕食後、荷物を持って部屋に入ります。
 明日の予定を決めていないので、これから考えなければ・・・。


つづく:村松虚空蔵尊と阿漕ヶ浦
 
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関連リンク
 ・鹿島神宮 朝曳き、行宮祭、還幸祭、年番引継(20050902)
 ・波崎町 輪行の旅(20040410)







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