ぶらり茨城
 『ぶらり茨城』は、いばらきを訪れた時の訪問記をつづっています。
 身近ないばらきの「今」を取り上げます。
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■ 黄門さまゆかりの史跡とあじさいの道 ■
水戸市(県央) : 2005年6月18日(土)取材

 2005年6月18日、19日の2日間、茨城県潮来市と水戸市への旅に出かけました。
 潮来市で「潮来あやめまつり」を堪能しようと出発。土浦市の土浦入りからジェットホイルで霞ヶ浦を縦断する予定が、時刻を間違え乗り過ごします(´・ω・`)。予定を変更し、翌日(19日)訪問予定だった水戸市に行きます。
 水戸駅に到着すると、JRの企画である「駅からハイキング」が実施されています。目的である「水戸のあじさいまつり」に回れますし、散策予定の水戸市市街地に存在する茨城百景もハイキング順路内にありますし、一石二鳥。歴史深い水戸市を堪能する1日目です(^^)。

 いーたーこ花嫁さん〜 いーたーこ花嫁さんが〜 ふぅ〜ねぇでぇ〜行くぅ }(^o^)
 と言うわけで、潮来花嫁さんお嫁入りするそうです。6月の潮来と言えば「あやめ」。今年も「水郷潮来あやめ祭り」に向かうのです!(><)。
 1泊2日の「茨城あやめ・あじさいの旅(仮)」

 最寄り駅から柏駅を目指します。
 時間は7時過ぎ。平日であれば通勤時間です。しかし、潮来に行くためには、これくらいの早朝移動が必要。
 えーっと、この辺で、今回の“目標”をご案内いたします。

 【初日】
 ・水郷潮来あやめ祭りで嫁入り舟を堪能する
 ・ジェットホイルつくばで土浦-潮来を縦断する
   ※土浦港から潮来港に行く船が出る
 【2日目】
 ・水戸、保和苑での「あじさいまつり」を攻略する
 ・水戸駅周辺に点在する、茨城百景碑を押さえておく

 気がつけば、7時30分を少し回ったところで柏駅に到着しました(^^)。


■土浦駅に行く
 柏駅から常磐線土浦駅に向かうのですが、土浦駅まで行く常磐線が30分くらいありません。今の時間、ほとんどの電車が取手駅我孫子駅止まりです。仕方ないので、ベッキーズでアイスコーヒーをいただいて時間を稼ぎます。

 しかし、ここが今回の旅のターニングポイントでした・・・(==)。

 ベッキーズで30分ほど時間を調整し、常磐線土浦駅に向かいます。予定では、土浦駅に到着して土浦港に歩いて行き、ジェットホイルつくばに乗船するつもりです。

【ステンレス車両が来る】
 常磐線三大がっかりのひとつ、ステンレス車両。ロングシートで旅情が無いのです。


■土浦駅から霞ヶ浦 土浦入りへ
8時40分過ぎ、土浦駅常磐線は到着。前方車両を切り離すため、車両はしばらくホームに停車します。なぜか、今回のスケジュールがうまく行き過ぎていて、油断していました・・・。


【車両切り離し中】
 土浦駅1番線にて。先頭車両は切り離され、回送扱いになります。

【高架橋の垂れ幕】
 土浦駅を横断する高架橋通路。いつもイベント関連の垂れ幕があり、好感触。

 土浦駅東口に出て、土浦港まで歩いていきます。
 雨がぽつぽつと降ってきます。


【霞ヶ浦 土浦入り】
 土浦駅東口から徒歩5分。意外と近い、霞ヶ浦。雨がぽつぽつ降ってきました。

【「ジェットホイルつくば号」の看板】
 霞ヶ浦沿いに歩くと、ジェットホイルつくば号の案内板があります。


■ジェットホイルつくば号に乗ることができず!
 時間は間もなく9時になろうとしています。ジェットホイルつくば土浦港を9時30分に出るはずですから、まだ30分も余裕がありますね〜(^^)。って、ジェットホイル乗り場に到着する直前、ジェットホイルつくばが動き出しているではないですか!!(@@)。

 な、なんと、出発時刻は土日と平日で異なるようで、今日の土曜日は9時に出発なんだそうです!(><)。ちなみに、平日の出発は9時30分。しまったー、ジェットホイルつくばに乗り損ねてしまいました・・・(><)。お伺いすれば、次の便は11時10分発。「11時10分の便」では、11時から始まる「嫁入り舟」に間に合いません・・・。

【つくば号が行ってしまった】
 油断していたら、つくば号が出発してしまいました(TT)。※目の前で出発するつくば号の撮影に失敗。出発してかなり経ってからの写真です。


【新調されたジェットホイルつくば号 乗り場】
 看板が新調され、鉄パイプは白いペンキできれいに塗られています。無駄な飾りが取り払われ、今風な雰囲気作りを行ない好感触です♪。


【去年のジェットホイル乗り場】
 看板は色落ちし、錆の浮いたフレーム。有刺鉄線が巻かれ、どうかなーって状態。

【あじさい】
 プロムナードに植えられたあじさいが、きれいに咲いています。


■予定変更 水戸に行きます
 しばらく考え、潮来へは明日行くことにしました。
 今日は水戸駅に行き、水戸「あじさいまつり」を堪能することにします(^^;)。
 決まれば行動。土浦駅に戻り、常磐線を待ちます。

 入線してきた常磐線に乗り込み、水戸駅を目指します。


【ハスのある風景】
 常磐線沿線では、ハスのある風景を楽しむことができます。

【イオン水戸内原店 建設中】
 もう少しで水戸駅というところで、イオンの建設現場。大型ショッピングセンター。


■駅からハイキングに参加
 10時30分近く、電車水戸駅に到着します。

 大きい荷物をロッカーに預け、北口を出ようとすると、テーブルがあり、何かのイベントが行なわれていることがわかります。お伺いすると、本日はJRが主催する「駅からハイキング」が実施されているとのこと。内容は「黄門さまゆかりの史跡とあじさいの道」です。

 訪問予定だった、茨城百景指定の「白幡山八幡宮」「保和苑と藤田東湖の墓」「愛宕山とさらし井」が満遍なく含まれています。「渡りに舟」とはこのこと。イベントに参加できて、私用目的も達成できるなんて、すばらしいじゃありませんか(^O^)。

【駅からハイキング 会員証】
 予約が無くとも参加ができる企画があり、今回も予約なしで参加できるとのこと。これを機会に登録してもらいました(^^)。


【水戸駅前大通りを眺める】
 川又書店や郵便局、偕楽園に続く道。水戸駅周辺の経済の軸になる地域です。

【駅からハイキング 地図】
 高齢者に見やすいB4サイズ。遠目に地図を持つ参加者が把握できます(^^;)。


【弘道館への道】
 地図を見ながら進めば、元々設置されている案内板もありアクセスしやすいはず。

【“駅からハイキング”の案内】
 地図を補佐するように、要所要所で設置されている案内標識。


■弘道館 正門
 「駅からハイキング」でまず最初に向かうは、弘道館です。
 弘道館水戸駅北口から徒歩5分。あっという間に到着です。弘道館に入館するのは有料ですが、外から見学するだけなら無料です(^^;)。

 弘道館には有料ではない、梅林の公園があり、その中を進んでいきます。
 よくよく梅の木の地面を見てみると、所々に梅の実が落ちています。

【城郭を思わせるまちづくり】
 弘道館や三の丸小学校を取り囲む壁や道は、お城の雰囲気を感じさせます。


【弘道館 正門】
 水戸藩9代藩主徳川斉昭によって作られた弘道館は、文武両道の精神を持ち合わせます。現在の正門は、皇族方のご利用時にしか開放されず、一般の方は右手(写真外)の通用門から敷地内に入ります。


【銃弾の跡】
 弘道館の戦い(明治元年/1868)においてつけられた、銃弾の跡のひとつ。

【額には徳川家家紋「三葉葵」】
 正門をよく見ていくと、額の部分には徳川家家紋の三葉葵が確認できます。


■弘道館公園
 弘道館正門の前をさらに歩くと、左手に弘道館公園があります。こちらは無料の様子。駅からハイキングの地図の順番とほぼ同じなので、公園内を歩いていくことにします。


【弘道館公園】
 弘道館の裏手には、弘道館公園と呼ばれる公園があります。こちらは無料。

【梅の実】
 そうか、よく考えたら梅の花が散れば実が生るわけで、梅干に使われますね。


【弘道館 孔子廟(こうしびょう)】
 江戸幕府は儒学(朱子学)を保護し、各藩も推奨しました。弘道館(水戸)だけでなく、湯島聖堂などにも建てられたので、「孔子廟」と呼ばれる建築物は他の地域にも存在します。この奥に、孔子神社があり、祀られています。


【鹿島神社の鳥居】
 孔子廟からさらに奥に入ると、鹿島神社。

【弐の鳥居跡】
 ここに弐の鳥居があったようです。


【弘道館 鹿島神社】
 安政4年(1857)5月に創建。祭神は武甕槌大神(たけみかつちのおおみかみ)で剣の神、武道の神として崇められています。


【ご神木 鈴梅】
 斉昭公(烈公)が植えた梅の木。右から「酒梅」(白梅)、「緋の司」(紅梅)、「鈴梅」(白梅)。

【八卦堂】
 弘道館の教育の基本を示した「弘道館記碑」が納められています。


■茨城県立図書館
 弘道館梅林を抜けると、広い芝生の場所に出ました。

 どこかで見たことあるなーって思っていたら、4年ほど前に訪問したことのある、茨城県立図書館の敷地です(^^;)。

 ここにきて、再び雨が強くなってきます。そう言えば、以前に来たときも突然の雷雨でした。。

【公園内の道を進む】
 踏み鳴らした道を、歩いていきます。


【茨城県立図書館】
 目の前に現れたのは、茨城県立図書館。写真左奥から歩いてきました。


■旧・仲町の歴史のある通り
 旧・仲町の通りを歩いていきます。

 一見すると、普通の道路のようですが、ところどころに「歴史」についての案内が書かれた看板が設置されています。「昔、ここに○○があった」みたいな内容です。こういう、まちづくりって、非常に大好きです(*^^*)。「なんでもないような道や敷地に、歴史があった!」なんて、ロマンチックです(^^)。

 左手に、なつかしい京成百貨店のマーク。

【水戸の歴史が書かれた案内板】
 旧・仲町の通りには、いたるところに歴史を書いた案内板があります。


【仲町の碑と案内板】
 この旧・仲町には本当にたくさんの案内板があります。水戸の有名観光地に飽きても、こうした地元に定着した歴史を学べるなんて、水戸の観光は奥深い!。

【京成のマーク】
 我が土浦には京成百貨店は無くなってしまいましたが、本店扱いの水戸店は現在でも水戸の経済を支えています。伊勢甚(閉店)跡に、ただいま新館を建設中です。


■水戸芸術館
 水戸芸術館に到着しました。

 こちらでは「駅からハイキング」特典として、「絵はがき」がいただけます。
 芸術館水のモニュメントがステキ。
 水戸芸術館磯崎新による設計。

【水戸芸術館のモニュメント】
 くねくねです(゜ω゜`)。


【水のモニュメント】
 ワイヤーで吊られた石に、水が浴びせられているモニュメントです。

【絵はがきとパンフレット】
 「駅からハイキング」の特典としていただける、絵はがき。

 街中を歩いていると、「幼児とびだし」注意を促す看板。少なくとも20年以上前のものでしょう。さいたま市内谷でも同じものがありました。


【水戸市街地にある看板】
 「幼児飛び出し」注意を促す看板。

【さいたま市内谷にある看板】
 劣化の程度はあれ、ほぼ同じもの。


■水戸市大工町
 水戸市大工町と呼ばれるこの界隈は、その名の通り、大工さん、施工の職人さんが集まったまちのようです。

 あちらこちらに建築に関わる職業の名残であろう建物が目に付きます。建具屋さんであったり、鋸(のこぎり)屋さんガス屋さんなど。

【襖建具 吉野屋】
 建具(とびらまわり)の建具製作、施工、内装を行なうであろうお店。看板建築ですな。


【鋸屋 中屋新次郎】
 刃物とかを研ぐお店かしら(??)。

【中島商店 プレス工場】
 すでに廃業されているようです。


■八幡池と神明宮
 八幡町に入って行き、水戸八幡宮を発見します。長い階段になっていますが、すぐには上らず、辺りを散策してみます。

 裏手に「市民の森(八幡池)」を発見。こういう神社では、「水」の存在が重要になります。きれいな水のあるところ、清められていて神が住むにふさわしい、ということです。
 実際、この八幡池は透き通る水が池となり、大きな鯉がゆらゆらと泳いでいます(^^)。
 「神明宮」の額がある、本殿(拝殿)。裏手には神殿。

【「水戸八幡宮」の碑】
 碑には「常陸國 白幡山 鎮座 水戸八幡宮」と書かれています。茨城百景碑ではありません。


【神明宮の鳥居】
 階段を上らずに道なりに進んでいくと、いくつかの石があり、鳥居があります。

【道祖神】
 江戸時代に設けられたであろう石。道行く人の安全や村の平和を祈願しています。


【市民の森(八幡池)】
 水戸八幡宮の一角には、休息所のような場所が設けられています。

【八幡池の鯉】
 どこからか水が湧き出しているのでしょう。たいへん澄んだ水の中を鯉が泳いでいます。


【神明宮の参拝道を入っていく】
 鳥居をくぐり、参拝道の山道を登っていくと、目の前に拝殿があります。

【「神明宮」の額】
 拝殿の額を見ると、建物が比較的新しいことがわかります。


■茨城百景 白旗山八幡宮
 先ほどの階段のところに戻り、階段を上っていきます。あじさいの花がきれいに咲いています。

 階段を上りきり、まっすぐ進んでいくと、左手に正式な参拝道がありますので行ってみます。鳥居の隣にこんもりとあじさいの葉っぱが生い茂り、その中に「茨城百景 白幡山八幡宮」を発見しました〜!(><)。


【「水戸八幡宮」の碑の階段を上る】
 神明宮から戻り、水戸八幡宮の碑があった階段を上っていきます。左手にあじさい。


【あじさい(手毬系)】
 一般的に良く見かける形のあじさいです。うっすらと青みがかっています。

【あじさい(カシワバ系)】
 しゃんしゃん鳴らす、こういう形状の楽器がありますねー(^^;)。


【水戸八幡宮 正面の鳥居】
 こちらが正門にあたるようです。さきほどは、写真奥右手から上ってきました。

【「国寶八幡宮」の碑】
 鳥居の右手には「国寶八幡宮」の碑があり、そのさらに奥の右には茨城百景碑。


【茨城百景 白幡山八幡宮】
 水戸城主となった佐竹氏の守護神の社殿として慶長3年(1598)に水戸八幡宮は建立されました。先ほど山道を登ってきたように、ここは白幡山で高度があり、裏山からは那珂川が眺められます。


■烈公御涼所
 再び参拝道を戻り、八幡宮の方向へ歩いていくと「茨城百景 烈公御涼所」の看板。

 駐車場にもなっている、その「烈公御涼所」では、も設置され、おおきな保存樹「ケヤキ」や「モミジ」などが天に伸びています。眺めもすばらしい。広いみどりみどりした田んぼが広がっています(@@)スバラシイー。

【「烈公御涼所」の案内】
 茨城百景の文字が確認できます。


【御涼所につながる道】
 駐車場としても利用されているようで、道幅があり、道も整備されています。

【赤いあじさい(手毬系)】
 パッションピンクとも言えそうな、鮮やかなあじさい。


【ケヤキ】
 敷地内には大きなケヤキの木。

【「烈公御涼所」の石】
 枕石寺にあった石の意匠と似ていますね。


【茨城百景(包括風景) 烈公御涼所】
 白旗山から眺める風景は、茨城百景の包括風景に含まれています。写真では確認しづらいですが、那珂川が見えます。


■水戸八幡宮と茅の和くぐり(準備作業中)
 参拝道に戻り進んでいくと、左手にずらっと拝殿が並んでいます。この常陸の国に関わる、すべての神が勢ぞろいといった感じです。よく言えば「すべての神と共存しますよ」となりますし、悪く言えば「何でもあり」みたいな光景です。

 玉垣(楼門に入った先)では、竹の鳥居が作られ、茅の和を製作しているところ。素材は(かや)。“かや”は「茅」とも「萱」とも書きます。
 明治25年に設置された狛犬拝殿神殿などを撮影しながら、ぐるりと歩きます。様々な神が祭られています。御神木のオハツキイチョウ。そうこうしているうちに、先ほどの茅(萱)の和の取り付けが完了しようとしています。

【八幡宮 山門】
 「水戸あじさいまつり」の立て看板が掛けられています。なかなか古い門構えです。


【水戸八幡宮 拝殿】
 「茅(萱)の和くぐり」のための準備作業が行なわれています。


【水戸八幡宮 神殿】
 立派に化粧直しされている神殿です。

【周囲には合祀の神殿】
 写真は竹内剥宿禰神社。


【茅の和】
 茅の草でワッカが作られています。

【「茅の和」取り付け中】
 竹の門に、茅の和を吊り上げています。


【「茅の和」微調整】
 ワッカが均一に丸くなるように、遠目で微調整をしています。


【御神木】
 オハツキイチョウの木。

【狛犬】
 明治25年頃に建立されました。


■祇園寺の薬医門構造
 続いて保和苑に向かいます。

 保和苑に向かう途中、祇園寺というお寺を見つけます。茨城中学校の隣。
 薬医門構造であろうを通り抜け、境内を見せていただきます。

【祇園寺】
 徳川光圀が開基した祇園寺。曹洞宗。


【正門】
 作りは薬医門です。

【薬医門 構造】
 2本の柱上に梁を架け、1点で屋根構造を支えています。


■茨城百景 保和苑と藤田東湖の墓
 保和苑
 保和苑は先日も攻略しておりますので、軽くチェックするだけ。

 前回の訪問時に、茨城百景碑前に車が止まっていて、きちんと撮影できていなかったのでリベンジです。しかし今回も、と言うか、案内ボランティアテントの前に設置されていて、やっぱり撮影できないのですー(T△T)ヒドイワー。

 保和苑の中を通り抜けるようにして、ハイキングコースを攻略していきます。

【隋人門】
 門の両脇には、隋人像が設置されています。


【大悲山保和院桂岸寺】
 水戸藩老中中山信正の供養のために、子の信治が建立しました。真言宗。

【水戸ご老公一族】
 桂岸寺の右手前には、水戸光圀と助さん、格さんの像が設置されています。


【茨城百景 保和苑と藤田東湖の墓】
 水戸九代藩主徳川斉昭の片腕として活躍した藤田東湖の墓も、茨城百景に含まれています。この日は碑の前に観光ボランティアの受付テントがあり、こういう角度での撮影になってしまいました。。


【手造りの灯籠】
 保和苑の広場には、地域の子ども達が製作した、手造りの灯籠が公開されています。

【保和苑内を俯瞰する】
 少し高い場所から、保和苑の園内を俯瞰で眺めます。


【水色のあじさい(手毬系)】
 保和苑には6000本近いあじさいが植えられており、この時期に咲き乱れます。

【「無所だめの大蛇」】
 蛇取り名人が大蛇を捕まえたが、大蛇が身ごもっていたため逃がしてあげた伝説があります。


■案内板に命拾い(^^;)
 保和苑の裏手であろう、鯉のいる池がある出口から出ます。
 しかし、ここに来て「駅からハイキング」の案内板がパタリと無くなり、一瞬遭難しそうになりました(><)。まったく逆方向に歩いていたのです。道路に設置してある案内標識を偶然見つけ、逆方向に歩いていることに気づき、戻ることができました(TT)。

【案内板】
 観光地にとって、こういう案内板が細かく整備されていると、本当に助かります(^^;)。


■茨城百景 愛宕山とさらし井
 愛宕神社の鳥居を発見し、進みます。ハイキングコースの順番が違いますが、ここは自分のカンを信じて進むことにします。

 道なりに進むと、こんもりとした森の山が。ここが愛宕山古墳と呼ばれる場所のようです。
 鳥居をくぐると目の前に階段。右手に「茨城百景 愛宕山とさらし井」があります(^^)v。

【遠くにこんもりとした山が】
 あそこが愛宕山古墳になります。


【灯籠と鳥居】
 愛宕山もしくは愛宕山古墳と呼ばれるだけあって、高度がありそうです。

【階段が続く】
 中に入っていくと雰囲気は、先日の梵天山古墳と似ています。右手には、茨城百景碑。


【茨城百景 愛宕山とさらし井】
 愛宕山古墳の敷地に入っていき、すぐの場所にあります。「さらし井」は、この古墳とは場所が少し異なるようです。


■愛宕神社と眺め
 階段を登りつめ歩いていくと、愛宕神社拝殿があります。

 ここでもやはり、周辺に大小含めた社があります。
 木々に埋もれ見づらいですが、この場所は高台になっているので木々が少なければ見晴らしがよさそう。しかし、周辺には住宅が立ち並び、茨城百景と言うには難しい現状になっているようです・・・。

【拝殿が見える】
 階段を上り、少し歩くと再び階段が現れます。頂上には、愛宕神社の拝殿。


【愛宕神社 拝殿】
 長和3年(1014)に現在の石岡市から勧請された社。火伏せの神として信仰を集めています。周囲には


【額】
 愛宕神社の額です。

【三島神社】
 周辺には合祀の神社がいくつかあります。


【茨城百景 愛宕神社からの眺め】
 茨城百景としての眺めを確認します。愛宕神社は古墳(前方後円墳)でもあり、周囲より高度があります。しかし、周囲の建築物が中層化していることと、木々の密度が高く、眺めはあまりよくありません。。


■曝井(さらし井)
 近くに「さらし井」があるようなので、行ってみることにします。

 さらし井と呼ばれるであろう広場に階段があり、降りていくとのような水溜りがあります。どうやら、これが「さらし井」のようです。
 さらし井は水が沸いています。その昔、「この水で布を洗い、日にさらして乾かした」そうです。

【ハイキングコースに合流する】
 指定されていたコースから外れて歩いていましたが、ここで本来のコースに合流します。


【公園のような広場】
 いただいた地図だと、この辺りに「さらし井」があるはずなのですが・・・。

【公園の奥に下りる階段がある】
 広場の奥に行くと、写真のような下りていく階段があります。降りていきます。


【萬葉 曝井の森】
 階段を下りていくと、自然の雰囲気を取り込んだ広場が広がります。


【湧き出た水がたまる池】
 昔の人は、この場所で衣服などを洗濯したのかしら。。社交の場としても利用され、当時の人々の生活が感じられます。

【「曝井」の碑】
 明治11年(1878)当時の地主、桜井安処が建てた碑。藤田東湖の「地主ならば石文を建てよ」の教えに従いました。


■馬塚古墳(愛宕山古墳群)
 戻る途中に「馬塚古墳」
 古墳と言うにはあまりに小さい規模です。本当はもっと大きい規模であったようですが、現存するものは目の前にある小さな山です・・・。

 馬塚古墳は愛宕山古墳群のひとつで直径14メートル。この古墳群は前方後円墳が2基と、円墳5基から形成されていたようですが、現在では愛宕山古墳と、馬塚古墳だけになっています。

【馬塚古墳】
 文部科学省 水戸原子力事務所の敷地内にあります。


■藤田東湖の墓と格さんの墓
 大通りまで出て、水戸駅に戻るためにバス停を探していると、案内板「常磐共有墓地」の文字。
 地図を調べると、場所も近いようなので行ってみることにします。

 常磐共有墓地は寛文6年(1666)、当時の藩主徳川光圀が創設しました。藩の士民が正しい精神生活を送るために、葬儀も無駄な費用を使わないで済むよう、葬儀の簡単な基準を定めたものです。水戸市指定文化財。
 墓地には、藤田東湖の墓格さんの墓があります。さきほど保和苑に行きましたが、墓地保和苑のすぐ裏手に位置していたんですね(^^;)。

【「常磐共有墓地」の碑】
 簡素な葬儀を定義づけをして、藩の士民の精神的な安定を促すことができました。


【藤田東湖の墓】
 九代藩主斉昭の片腕として活躍。安政の大地震で亡くなりました。享年50歳。

【格さん(安積澹泊)の墓)】
 水戸黄門の「格さん」。『大日本史』の編集に力を注ぎました。享年82歳。


■回天館と常磐共有墓地
 同じ敷地内には「回天神社」「回天館」があります。尊王攘夷を旗印に立ち上がった天狗党の乱。藤田東湖の四男、藤田小四郎田丸稲之衛門らが筑波山に集い、決起されました。先細りする天狗党は、最後は藤田小四郎らが処刑され、幕を閉じました。

 その処刑された者たちを祀ったのが、ここ常磐共有墓地であり、回天神社です。

 回天館天狗党の最後の一団が最終決戦を迎えた場所。回天館は現在の敦賀市にありましたが、昭和35年に解体されることになったのを水戸市民有志が立ち上がり、いくつかある棟のひとつを譲り受け移築されました。もともとはニシン倉「回天館」と名づけられたのは移築されてからです。当初は常磐神社の敷地にありましたが、老朽化により平成元年に整備。その際に現在の回天神社敷地内に移築されました。

【回天館】
 天狗党の一団が最後を迎えた建物。建物内には当時の烈士の絶筆が残されています。


【水戸烈士の絶筆】
 回天館の中に残る、絶筆です。

【常磐共有墓地】
 天狗党で殉死した武士の墓。


■科学万博-つくば’85の遺構散策失敗
 バスに乗って、茨城大学前まで。
 掲示板でご連絡いただいていた、「市陸上競技場前入口に科学万博当時の交通規制の看板で作られた小屋」を探しに来ました。バスは茨大前営業所に到着。
 道路を挟んですぐの場所に市の陸上競技場があります。野球場県立武道館も併設され、かなり規模の大きな運動施設であることが分かります。しかし、見つからないんです・・・(TT)。かれこれ1時間も掛けて敷地内外を歩き回っているのに、“小屋”が見つかりません〜。時間も時間になってきてしまったので、今回はこれにてタイムアップ・・・。バス停に戻ることにしました。。

【バス停 茨大前営業所】
 バスで移動してきました。市陸上競技場に科学万博の遺構があるそうです。


【茨城県武道館】
 塚原運動公園内にある武道館。園内をくまなく探し回ります・・・。

【常陸山 谷右衛門像】
 明治中期以降に活躍した、水戸市(現在)生まれの力士。


■東横イン 無料夕食のカレーライス
 水戸駅に到着し、エクセルの地下で買い物。
 南口に出て、本日お世話になる、東横イン水戸駅南口店です。早速チェックイン。ロビー朝食コーナーを見ると、夕食無料サービスの案内板が掲げられています♪(^^)。これ(夕食の無料サービス)があると思っていたので、夕飯を食べずにここまで来たのです(^▽^;)。
 一度、部屋に荷物を置きに行き、サービスの始まる18時30分を待ちます。

 18時40分頃、1階ロビーに下り、カレーライスをいただくことにしました♪(^^)。

【東横イン 水戸駅南口にて】
 18時30分から20時まで1階ロビーにてカレーライスの無料サービスがあります。

 明日は大洗鹿島線水戸駅から鹿島神宮駅を経由し、潮来駅に行く予定。
 朝早くなるので、早めに寝ることにします(==)グウグウ。


翌日に続く:第54回 水郷潮来あやめ祭り大会
 
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取材・掲載 お問い合わせ
更新日 2005/09/22
2005年09月22日 UP

関連リンク
水戸の梅まつり2005(偕楽園)(20050306)
吉田神社と弘道館 正門開放(20050306)


 
【サイト紹介】茨城県土浦市で生まれ、すぐに県外で育ちました。「故郷は遠きにありて思うもの」とは言いますが、歳を取れば取るほど故郷への愛着は深まるばかり。1985年(昭和60年)3月17日から9月16日まで茨城県筑波研究学園都市にて開催された『国際科学技術博覧会(通称:科学万博-つくば’85)』〔EXPO'85〕の思い出を皮切りに、幼い頃よく連れて行ってもらった土浦駅を中心に活動の場を広げます。サイト開催当初は茨城県県南地域(土浦市・つくば市)を中心に活動を広げていましたが、現在では県央、県北、県西、鹿行と活動の幅を広げています。時には茨城県を飛び越え、常磐線つながりで「常磐線旧トンネル(廃トンネル)」を福島県まで求めたり、廃線となった筑波鉄道を散策したり。日立電鉄廃線の時には、最終列車に乗ったりします。祭り好き、花火好き、山車好き。茨城県の第一人者になるべく、足を使った泥臭い取材を心がけていく、「いばらき だいすき」なサイトです。将来の夢は茨城県で一花、いや、たくさんの咲かせること。故郷に錦を飾る予定です。

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