先ほどの砂利道のT字路まで戻ります。
相馬小高神社の看板を右手に曲がります。道はだんだんと傾斜がきつくなっていきます。「赤木山長命寺跡」と「金性寺跡(きんじょうじあと)」の看板があります。
長命寺は相馬孫五郎重胤(そうままごごろうしげたね)が行方郡に移る際に同行した相馬市代々の祈願寺とのこと。慶長16年(1611)に相馬市中村に移り現在は相馬市岩ノ子にあります。
金性寺(きんじょうじ)は弾正大庇弼相馬盛胤(だんしょうだいひつそうまもりたね)が婦人の掛田御前(かけたごぜん)の供養のため永禄12年(1569)に長命寺前の小高字堂前に建てられました。後に小高城跡に移り、明治時代になり小高長小屋木の天王寺を経て現在は小高町仲町にあります。 |

【「相馬小高神社」の看板】 |