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 鹿島鉄道鉾田線 茨城百景の旅 
行方市、鉾田市(県南) : 2006年2月11日(土)取材

 2月は微妙な時期で、どころかもまだ咲かない時期ですし、お祭りも開催されない。さらに、外が寒いので、プラっと外出するといった気候でもありません(==)。

 こういう時期にこそ、やるべきことをやらなくてはなりません。
 それは、鹿島鉄道 鉾田線沿線にある、茨城百景碑のコンプリートです。


 電車を乗り継ぎ、11時30分過ぎ。
 柏駅で入線してきたのは“久しぶり感”のある、E531系

 E531系が導入されて半年が経過しました。車内はさすがに、導入当初の新車の“におい”はしなくなりつつあります。。 ボックス席が空いていませんので、2人席でおとなしくしています。取手駅で目星をつけていたボックス席が空いたので、サササっと確保します(^^;)。

 牛久駅を過ぎると 「なかなか完成しない“圏央道”」は、橋上部の道路部分に着工し、工事が進展しています(@@)。

【少しずつ進展する圏央道】
 今まで工事に進展具合が確認できませんでしたが、ここに来て橋上道路部分が着工!。


■土浦駅 駅改良工事終了
 12時過ぎ、常磐線E531系は、土浦駅に入線します。この車両は土浦駅終点
 さらに北上していく電車は、特急(スーパーひたち、フレッシュひたち)以外だと20分ほど待つことになります。

 1番線ホームは、先日見かけた「仮トイレ」が無くなっています。エスカレーターを上ると、トイレの改良工事が終わっています(^^)。

 NEWDAYS飲み物茨城新聞を購入し、再び1番線に下りていきます。
 駅そば天ぷらそば(350円)。

【仮設トイレが無くなっている】
 土浦駅旧・1番線(筑波鉄道跡)の仮設トイレが撤去され、いつもの風景に戻っています。


【土浦駅のトイレがきれいになりました】
 橋上改札階のトイレは臨時仮設トイレで利用者を締め出しただけあり、たいへんきれいに。

【天ぷらそば(350円)】
 うどんだけでなく、そばもコシが無いのがKOUJINN(旅人)には口にあいます。


■恋瀬川からの筑波山
 12時30分前、“白電”いわき駅行きが入線してきます。
 この時間帯はお客さんも少なく、ボックス席がたくさん空いています。進行方向左手を確保。高浜駅手前の恋瀬川を渡るとき、遠くに筑波山


【恋瀬川の先に筑波山】
 常磐線 神立駅を過ぎ、まもなく高浜駅というところで恋瀬川。川の上流には、筑波山のツインマウンテンが薄っすらと見えます。


■鹿島鉄道 鉾田線 石岡駅
 12時50分、石岡駅に到着です。
 5番線鹿島鉄道 鉾田線のホームでは、1両編成の気動車が出発待ち。この車両は、常陸小川駅が終点です。

 鉾田線沿線のいずれかで下りるつもりですが、常陸小川駅までの区間だと、途中で降りたい駅がありません・・・。せっかくですから、どこかの駅で降りることにします。名前にビビビっときた四箇村駅に決定!。

【カシテツを救え】
 廃線の噂が絶えない鹿島鉄道のイベント。

 気動車に乗って待っていると、車掌さんが乗り込んできて、きっぷの販売を始めます。
 suicaで来てしまったので、ここまでの利用料金を払い、さらに「鹿島鉄道一日フリーきっぷ」(1100円/大人)を購入します。


【KR−500系(KR-502)】
 平成元年に導入された、同線では比較的新しいの気動車。

【Suicaを精算する】
 鹿島鉄道はJRのSuicaに対応しておりませんので、ここまでの運賃を現金で払います。

 気動車が出発。石岡南台東田中と停車します。
 気動車が進むに従い、数人いた乗客が少しずつ減っていくような感覚。
 4,5人しかいなかった乗客は、四箇村駅に到着するまでに半分程度減っています・・・(==)。


■鹿島鉄道 鉾田線 四箇村駅(四ヶ村駅)
 四箇村駅運転手フリーきっぷを見せ、前方の扉から降ります。

 四箇村駅は片側ホームだけの駅。駅舎は無く、鉄筋コンクリート造であろう、物置みたいな待合所があるだけ。次の気動車が来るまで30分ほどあります。駅近辺は開発済みの地域が広がり、30分程度歩くくらいでは面白い場所にたどり着けそうにありません・・・。
【四箇村(四ヶ村)駅 駅看板】
 石岡駅から5つ目の駅。片側だけのホーム。


■らーめん厨房 はるかぜ
 駅裏手に中華のお店があるようです。先ほど駅そばを食べたばかりですが、たまにはこういうお店で食事をしても良いでしょう。。と言うことでお店正面に回りこんでみます(^^)。
 「らーめん厨房 はるかぜ」というお店。お店の外観からは、「安易な気持ちでラーメン屋を始めたのではない」ことが伝わります。塩ラーメンがオススメのようですので、塩ラーメンと、餃子を注文します。


【四箇村駅 全景】
 ホームにはプレハブのような、簡素な施設しか存在していません。。

【らーめん厨房 はるかぜ】
 駅の反対側、国道355線沿いにあるラーメン屋さん。お店のコンセプトをしっかりと設定。

 しばらくして出てきた塩ラーメンは、見た目よりもこってり感のあるスープ鶏がらでしっかりだしをとっており、濃厚感が楽しめます(^^)。具は半熟たまご(半分)、のり、ねぎ、青菜。チャーシューも安易なものではなく、きちんとしたルートで入手したか、自家製かといった感じです。これでお腹が空いていたら、ライスも注文していたかもしれない。といったおいしさ。

 餃子は5個。比較的、大サイズかも。肉中心の具(餡)。

【塩ラーメン】
 見た目はあっさりですが、意外と濃厚感のあるスープ。“塩”と言いながら、このスープの色。ご主人の哲学的な強さを感じさせます。

 13時47分、鉾田駅行きの気動車が入線してきます。
 今度の気動車はある程度混み合っています。10数人ほど乗車しているでしょうか。ボックス席が空いていないので、ロングシートに座ります。


■鹿島鉄道 鉾田線 桃浦駅
 桃浦駅
 ここで下りるのは自分だけです。一昨年の雪が降る日以来。桃浦には茨城百景碑があることを調査していたのですが、あの日は見つけることができませんでした。しかし、今回はだいたいの場所を事前に把握しているので、すんなりと見つかることでしょう。

 次の気動車の時間を確認し、線路を横断して(@@)ビクッ!、霞ヶ浦方面に歩いていきます。

【桃浦駅 駅看板】
 以前にも一度、降り立ったことのある駅。前は茨城百景碑を見つけることができませんでした。。


■茨城百景 桃浦
 ホームからすでに霞ヶ浦が見えるほど、桃浦駅霞ヶ浦は近い距離にあります。
 数分とかからず、霞ヶ浦湖岸に到着・・・。と思っていると、道路右手にちょっと大き目の石(碑)があります。近づいてみると、『茨城百景 桃浦』であることが確認できましたー(^O^)。


【茨城百景 桃浦】
 かつて、霞ヶ浦の水運が栄えた時代、東京(江戸)と土浦(土浦入り)をつないだ中継地点のひとつが桃浦でした。。現在では湖畔岸の整備が終わり、かつての水運時代の面影は無くなってしまいました。。茨城百景 桃浦は、鉾田線 桃浦駅から徒歩5分程度の場所。

 桃浦はその昔、船の乗船場があった場所だと聞いています。
 “車”という交通手段が栄える前の時代に水運が栄え、ここ桃浦ら東京(江戸)方面に、“船”で人や荷物を運んだ場所だったのです。。しかし、時代が車社会化になっていくに従い、水運は衰退してしまいました。霞ヶ浦湖岸は整備され、往年の水運全盛時代を知る由もありません・・・(==)。


■桃浦駅 駅舎内のタブレット
 桃浦駅に戻り、下り鉾田駅行きの気動車を待ちます。
 桃浦駅は無人ですが駅舎があります。駅員詰め所を覗き込むと、手書きの注意文が見え、さらにタブレットが2つ見えます。扉の鍵が弱そうで、盗難にあわないか心配してしまいます・・・。


【桃浦駅 駅舎】
 ログハウス風の駅舎。比較的最近まで、駅員さんが駐在する駅だったようです。

【タブレット】
 駅舎内の駅員室内を覗いてみると、タブレットがぶらさがっています。

 14時50分頃、桃浦駅気動車が入線してきます。
 まさか桃浦駅から乗車するお客さんはいないだろう、と思っていると、地元のカップルおばあちゃんとお孫さんなどの組み合わせでお客さんが乗車します(@@)オドロキ。


■鹿島鉄道 鉾田線 巴川駅
 およそ1時間ほど気動車に揺られます。次は巴川駅ホームにはログハウス風の待合所

 駅周辺に商業施設などは無く、地元民の通勤通学のためだけに利用される駅のようです。これでは他地域からの鉄道利用の促進を促せるはずもありません・・・。

 しかし、KOUJINN(旅人)は違います!(≧▽≦)。この巴川駅近くにバス停「当間」があり、路線バスに乗って行った先に、茨城百景に制定されている「無量寿寺」があることを調査済みなのです!!。

【巴川駅 ホームと駅看板】
 あと2つで終点 鉾田駅、というところ。

 持ってきた地図と、GPSで方向を確かめながら、バス停「当間」を目指します。
 駅から延びる道をまっすぐに歩くと、大きな道路に出ます。



【 巴川駅 ホーム】
 気動車の行き違いができるように、島式のホーム。

【駅前の倉庫屋根裏から】
 巴川駅前の倉庫の屋根裏では、はとちゃんが巣作り(?)をしてしまっているようです。。


■巴川
 道路を鉾田方面に歩きます。歩道部分は1m程度。ほどほどにある車の往来を避けながら歩くと、駅名にもなっている巴川があり、が架かっています。のところに記念碑らしきもの。

 地元の通りすがりのおじいさんに話しかけられ、少し話をします。
 鉄橋を通過する、鉾田線の車両「ガンバレ!かしてつ」号

【巴川】
 巴川駅から、バス停「当間」を目指す途中に、巴川が流れています。。


【記念碑】
 巴川に隣接して建てられている記念碑。碑からは、「協和」の文字が読み取れますが。。

【通過する鉾田線】
 遠くの鉾田線の線路橋を通過する、鉾田線の気動車。「ガンバレ!かしてつ号」です。。

 橋を渡ると、Y字路。右手に行くのが本道ですが、事前調査で左手の細い道に入った先の地域が「当間(とうま)」と呼ばれ、バス停があることが分かっています。細い道で車が行き交うのが難しい。こういう道にも、昭和後期ころまで営業していたであろう商店があります。


■トタン屋根の月蔵寺
 細い道を抜けるかどうかと言うところで、遠くに赤い(朱色?)の屋根を持ったお寺が見えます。少し高く盛り上がった土地。看板を見ると、月蔵寺と書かれています。

 屋根の補修が近年行なわれてようで、トタン板を使った“安易な補修”に胸が痛みます。。しかし、このご時世、地方にとって古い建物の改修費用を捻出するのは難しく、「修繕して生き永らえさせよう」というキモチがあったことを重んじなければなりません(−−)。

【月蔵寺】
 赤いトタン屋根に改修されたお寺。修繕してくれた事実を感謝しなければなりません。。


■バス停「当間」
 バス停「当間」前にも神社
 ゆっくり撮影したいところですが、そろそろバスが来る時間です。バス停「当間」前の神社(拝殿)は時間が無いため、次の機会にします。。

 バス「待っていると遅れてくる」し、「遅れて行くと時間よりも早く通過してしまう」マーフィーの法則のようなところがあるので、時刻表よりも数分早く待っていたいのです。。

 やっぱりと言うか、バス「予定よりも数分遅れて」やって来ました(^^;)コレナラサツエイデキタ。整理券を取り、座ります。バスの床は板敷き。独特の油のにおいです。お客さんは自分以外いません。貸しきり状態♪(^O^)。

【バス停「当間」】
 巴川駅から無料寿寺に向かう、最短のバス路線駅。まもなくバスが来そうです。

 さて、目的地は無量寿寺と分かっていても、どのバス停で下りたら良いのか分かりません。。この付近の地図は印刷して持ってきているのですが、バス停までは掲載されていないのです。路線図も持っていますが、それっぽいバス停「鳥栖寺下」「鳥栖」「鳥栖本郷」のいずれかかと思われます。
 こうなったらいつものパターンで、「地図の地形」「GPSの作る経路跡」を見比べながら、「ここだ!(≧ω≦)」と思ったところで「降りるボタン」を押すしかありません(^^;)。


■バス停「鳥栖寺下」
 バスに揺られること7,8分。“揺られる”というのは情緒的表現ではありません。道路のアスファルトの状態と、地形に合わせたくねくね道路バスを大きく揺らすのです(==)。

 地図GPS辺りの風景を見比べながら、「ここだ!(≧ω≦)」と思ったのは、「鳥栖寺下」です。

【バス停「鳥栖」】
「鳥栖」って「とりのす」と読むんですね〜。


【光明山 無碍光院(むけこういん) 無量寿寺】
 バス停「鳥栖」の前にそびえる、こんもりとした山。ここが無量寿寺です。

【「天然記念物 無量寿寺のボダイジュ」の碑】
 茨城県内でたまに見かける黒い碑。裏側には「明治百年記念昭和四十三年建」の文字。


■茨城百景 無量寿寺
 バス停の目の前にこんもりとした小山。お寺の入口であることがはっきりと確認できます。門には「無量寿寺」の文字。入口向かって左手に茨城百景「無量寿寺」を発見しました〜~~~\(^O^)/~~~。


【茨城百景 無量寿寺】
 大同元年(807)、平城天皇の勅願所として建立されました。当初の名前は「無量寺」。 承久3年(1221)、親鸞聖人が3年間この地に住み、阿弥陀仏を自ら刻んで本尊として浄土真宗の教えを広めたことから、「親鸞聖人ゆかりの寺」といわれています。
 3年間の布教を終えてこの地を去るにあたり、弟子の順信房(じゅんしんぼう)に寺を継がせました。その時に寺の名称を「無量寿寺」としました。


■無量寿寺の風景
 昭和27年5月3日に建てられたを通り、階段を上っていきます。

 お寺が建立されたのが「大同元年(806)」とのことですから、階段が造られたのも当時に近い時期だったのでしょうか。。勾配がかなり厳しく、蹴上げ蹴込みが1:1に近い割合で、非常に怖い(´=ω=`)ブルブル。気をつけながら上って、ふと左を見ると鉾田地方の水田風景が広がります。茨城百景に制定されたのが、理解できます(^^)。

【本堂への階段】
 地形が山のようになっており、木々に包まれた階段を上ります。


【無量寿寺から見る茨城百景】
 階段を上る途中、左手の視界が開けます。広大な平野の風景は、まさに無量寿寺の茨城百景に間違いありません(^^)。


■無量寿寺 境内
 階段を上り詰めると、山門(天正年間建立)が大きく乗っかってきます。県指定文化財

 山門をくぐると、目の前には萱葺き無量寿寺 本堂が現れます(^^)。写真などで観たことのある本堂、やっとこの目で拝むことができました〜(TT)。

 思えば2004年の暮れから、何度か訪れようと試行錯誤をして到達することができず、場所や訪問の仕方を入念に調査して、やっと訪れることができた無量寿寺。ある意味、感無量といった感じです(==)シャレジャナイヨ。

【山門】
 急勾配の会談を上り詰めると、大きくのしかかってくるような山門が待ち構えます。


【無量寿寺 本堂】
 この本堂は寛文年間(1661-72)建立。親鸞が無量寿寺で承久3年(1221)から3年間過ごしたよりも、もっと後になって建てられた建物です。。県指定文化財。


【鐘楼堂】
 本堂の向かって左手には鐘楼堂。こちらも、萱葺き屋根。県指定文化財。

【菩提樹の樹】
 境内にはいくつかのボダイジュの樹があります。夕焼けで金色に光ります。


 一通り境内を散策できましたし、帰りのバスの時間もありますので境内を後にします。
 バス停鉾田駅行きのバスを待ちます。無量寿寺の辺りには、昭和中後期まで営業してたであろう小さなお店が集まっていますが、今は昔。
 バスを待つ間、カートを押しながら、ゆっくり歩いていくおばあさまに挨拶。地元人と挨拶をするのに違和感が無いっていうのは良いですよね〜(^^)。

 バスが来たので乗車。
 路線図を探っていくと、途中にバス停「坂戸」があります。坂戸と言えば、鉾田線にも坂戸駅があります。降りたことの無い駅です。ついでですから鉾田駅まで行かず、坂戸駅から気動車に乗りたいと思います。


■バス停「坂戸」から坂戸駅に行けず、迷う
 バス停「坂戸」で下車。時間は17時5分をさしています。
 さて、降り立ったは良いものの、あたりは水田と遠くに山があるだけで、決して駅前ではありません。そしてまた、坂戸駅がある方向が分かりません(==)。

 地図GPSを見比べながら、坂戸駅があるであろう方角に歩き始めます・・・。

 すぐに鉾田線の線路は見つかりました。しかし線路のどちらを眺めても、らしいものが確認できないのです・・・(==)。

【バス停「坂戸」】
 バス停は鉾田線 坂戸駅とはリンクしておらず、さらに坂戸駅の場所も分からず困り果てます。。



【常陸小川駅・石岡駅方面】
 バス停からGPSで確認し、鉾田線の線路に出ます。線路の左手を眺めます。。

【鉾田駅方面】
 右手、鉾田駅方面。この風景を見比べて、どちらに鉾田線 坂戸駅があるかわかります(??)。

 線路をまたぐ陸橋の下をくぐりながら歩き始めます。
 駅周辺の集落に入ってきたようで、住宅が密集してきます。日が落ち寒くなってきたので、自動販売機でホットコーヒーを購入し、頭の中で坂戸駅の方角を計算します。。


 30分ほど歩き回りました(´=ω=`)フウ・・・。。
 いやー、まいったにゃ〜。確実に坂戸駅の近くに来ているのに、なんだかグルグル辺りを彷徨っているだけで近づけません!!(><)。先ほど缶コーヒーを購入した道路に戻ってきてしまいました・・・。


■隠されている、鹿島鉄道 鉾田線の坂戸駅
 慎重に集落(坂戸地区)の区画割りを眺めながら歩きます。すると、車も通れない、1本の細い道があることに気がつきました!!(@@)。

 人家の庭先(私有地)でも無いようですし、入ってみることにします。。道は適度に舗装されているくらいで、あまり重要な道に思えない印象。道の両側はブロック積みの塀になっており、民家がすぐ近くの壁際に建てられ、夕飯の調理をしているのがリアルに分かるような距離です。。

【坂戸地区の集落】
 写真矢印部分の、私有地のような道路を入っていくと、鉾田線 坂戸駅に行ける事が判明。


■鹿島鉄道 鉾田線 坂戸駅
 単線の線路が見えました。間違いなく、鉾田線の線路
 ブロック塀からの視界が開けると、住宅と木々に包まれた、置いて行かれた世界のような坂戸駅がありました!(@@)。こりゃ、なんとも言えない、片側の駅。ログ風の待合室が、神々しく明かりを放っています。


【鹿島鉄道 鉾田線 坂戸駅】
 メイン通りから隠されるようにして存在する坂戸駅。。利用されるべくして存在する駅のはずなのに、人の立ち入りを拒むかのような立地に、腹立たしさを通り越し、感銘さえ受けます。。


 鉾田駅方面から気動車がヘッドライトを点灯させてやってきました。
 ホームに入線。ここから石岡駅まで、およそ1時間の気動車の旅が始まります。。
 ゆっくりとゆっくりと、早く走ることをためらうかのように気動車は進んでいきます。。
 線路に沿うようにして作られた道路では、がどんどん気動車を追い抜いていきます。しかし、気動車は知ってか知らずか、いつものペースを守ります。。

 これが「鉾田線の魅力」であるのは分かっていながらも、「もっと早く石岡駅に戻りたい」と思ってしまうのは、KOUJINN(旅人)の我がままなのでしょうか・・・。


 そして後日(2006年2月17日)、茨城新聞「鹿島鉄道鉾田線 廃線の方向に」の記事が掲載されました。。


(この項おしまい)
 
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関連リンク
 ・本町 旭町 山車20周年記念式典(20050109)
 ・鹿島鉄道 鉾田線(200412229)







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