ぶらり茨城
 『ぶらり茨城』は、いばらきを訪れた時の訪問記をつづっています。
 身近ないばらきの「今」を取り上げます。
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■ 六角堂と二ツ島 北茨城の旅 ■
北茨城市(県北) : 2005年8月11日(木)取材

 2005年8月11日から1泊2日の日程で、家族で北茨城市に行ってきました。
 家族旅行は2年ぶり♪。当初は青森か新潟に行く予定でしたが、1泊2日という日程を考慮して、北茨城に行くことになりました。北茨城市は路線バスの廃線などにより、歩いての観光には不向きな土地。今回は自家用車を使っての、“足”のある旅なので、かなりの名所を巡ることができました(^^)。

 1,2年に一度ほど、両親と一緒に旅行に行くことがあります。
 去年は休みが合わなかったので、行きませんでした。一昨年(2003年)は福島県いわき市方面の湯本温泉に行きました。
 今年は休みが合うのでどこに行こうか1週間前に検討。新潟青森などが候補に上がりましたが、1泊2日の短期スケジュールを考慮して、北茨城方面に決定。宿泊先も決定したのです♪(^^)。

 いつもの個人の旅ならばギュウギュウにスケジュールを詰め込み、あちらこちらを巡るところです。しかし、今回はいわゆる「団体旅行」ですから、「無理なくほどほど」の計画で無ければなりません。


■守谷サービスエリア(S.A.)
 自家用車で8時過ぎに家を出発します。

 天気はどちらかというと曇り空ですが、晴れに近い。30分ほどで高速「常磐自動車道」に乗ります。帰省ラッシュは明日(8月12日から)なので、車の流れもスムーズです。

 守谷サービスエリアで最初の休憩。揚げジャガイモを購入します。260円。

【守谷サービスエリア】
 常磐自動車道 茨城県最初のサービスエリア。


【県南地域の特産物】
 茨城県県南地域で収穫された特産物を中心に、お土産の販売が行なわれています。

【揚げジャガイモ】
 サービスエリアの定番、揚げジャガイモ。ケチャップやマーガリンでいただきます。


■友部サービスエリア
 9時30分過ぎ、我が土浦を通過します。左手に薄っすらと筑波山。20年前は科学万博の会場が見えたポイントです。

 10時20分、友部サービスエリアに到着。
 休憩所の前ではテナントが出され、帰省客へのお土産を販売しています。

 水戸黄門“顔はめ”
 こういうベタなものは好きですが、いかんせん劣化していて汚らしい・・・(==)。新しく作り変えるとかしてほしいものですな〜。

【左手に筑波連峰】
 筑波山ではありませんが、イメージです。。


【友部サービスエリア】
 休憩ばかりで、なかなか着きません。。

【水戸黄門の“顔はめ”】
 コンセプトは好きですが、新調して欲しい。。


■中郷サービスエリアと野口雨情
 水戸市那珂市辺りを通過し、日立市に入る頃には辺りは山岳風景になります。
 トンネルの比率も高くなってきます。右手に日立の煙突が見えます(^^)。


【茨城県北地域は山】
 水戸(県央)を過ぎると、地形は山に包まれてきます。茨城県は様々な顔を持っています。

【日立の煙突】
 進行方向右手に、煙突。日立の煙突は有名です。


 十王トンネルを過ぎると最後の休憩ポイント、中郷サービスエリアです。

 休憩所は北茨城市福島県いわき市広域マップが掲示されています。

 右手に公園が設けられており、「童謡詩人 野口雨情の詩碑」が設置されています。
 「青い目の人形」「赤い靴」「蜀黍畑(もろこしばたけ)」「しゃぼん玉」「雨降りお月さん」「あの町この町」の詩碑。
 以前に高萩駅に降り立った時、野口雨情関連の案内を目にしました。野口雨情先生は現在の北茨城市磯原町の生まれなんですねー。

【中郷サービスエリア】
 サービスエリア好きの我が家にとって最後の中郷S.A.。次のインターチェンジで降ります。


【観光ガイド】
 茨城県県北地方だけでなく、福島県いわき市方面にまで広げて案内。県境に囚われず良いことです。

【野口雨情の広場】
 中郷サービスエリアの一角には、県北の詩人、野口雨情の詩碑が設置された広場が設けられています。


【「童謡詩人 野口雨情」の案内板】
 茨城県県北地方に産まれた野口雨情先生は、たくさんの童謡を残してくれました。実を言いますと、この時初めて野口雨情先生が茨城の生まれであることを知ったのでした・・・(*ノωノ)オハズカシイ。


 公園内には鉄琴のバーがぶら下がっているモニュメントがあります。備え付けのハンマーでたたくと、「♪あ・か・い・く・つ〜」の高いメロディーが響きます(´-ω-`)コツガイルヨ。これって、大島の波浮港にあるモニュメントと似ていますね〜。


【「赤い靴」の詩碑】
 公園内にいくつかあるうちのひとつ。童謡「赤い靴」は、小学校の音楽の時に歌いました。

【鉄琴のバー】
 備え付けのハンマーで左からたたいていくと、「♪あ・か・い・く・つ〜」の音が響きます。


と思って調べてみたら、波浮港にある鉄琴のモニュメント野口雨情先生がらみのものでした。。「波浮の港」作詞が野口雨情作曲が中山晋平です。


【「波浮の港」の鉄琴バー(大島 波浮港)】
 大島の波浮港にもまた、野口雨情が作詞した「波浮の港」の鉄琴モニュメントが設けられています。大島には何度か行ったことがあるのだ(^^)。


 高速道路は北茨城インターチェンジで下ります。
 持ってきていた地図を頼りに国道6号に向かいます。常磐線をまたがるを渡ると、国道6号に出ます。


【常磐線をまたぐ橋を渡る】
 常磐自動車道を下り、国道6号へ向かいます。常磐線をまたぐ橋を渡ります。

【国道6号を北上】
 左手に常磐線の線路を眺めながら、北上していきます。右手には大北川が海に流れます。


■天妃山
 国道6号を2,3分ほど北上していくと右手に小さい山が見えます。天妃山(てんぴざん)です。車を停め「弟橘媛神社」の石がある階段を上っていきます。

 天妃山「朝日指峰(あさひさすみね)」と呼ばれ、薬師如来を祀ってありました。江戸時代初め、中国(唐)から渡来した高僧心越禅師西湖永福寺から天妃神を護持。徳川光圀公がここに祀り、磯原、大津の海の守護神としました。この時よりこの山を「天妃山」と呼ぶようになりました。

 天保二年、徳川斉昭公日本武尊の妃「弟橘媛命」を海陸の守護神として祀り、「弟橘媛神社」と改めました。これにより、天妃山「天妃神」「弟橘媛」合祀となっています。

 昔は毎夜、堂に灯りがともされ、天妃山漁船の目印となっていました。

【弟橘媛神社(天妃山)】
 「雨情の宿 山海館」がある道を歩いていきます。左手の神社が天妃山と呼ばれる山。


【「弟橘媛神社」の文字】
 天保2年に斉昭が名称を改めました。

天妃姫・弟橘媛・雄都嘉神社
 天妃山を軽く上っていくと、合祀の拝殿。


【さらに細い道】
 細い道があるので登っていくと・・・。

【西山公が座った石(左)】
 光圀(西山公)が座った石があります。


【西山公が観た茨城の海】
 西山公が座った石のある場所から海を眺めます。あいにくの天気ですが、青く晴れていれば、さらにすばらしい眺めが堪能できることでしょう。沖縄石垣島の川平湾に負けるとも劣らずの眺めです!!(≧▽≦)。


■大北川
 天妃山を下りた弟橘媛神社の前にある駐車場には、子どもいきいき自然体験フィールド100選」の看板。「No.63大北川河口」となっています。

 「泉漾太郎翁」を伝える碑。

【フィールド100選 No.63大北川河口】
 茨城県内の推奨されたトレッキングコースで良く見かけます。


【大北川河口】
 手前から向こうに川が流れ、海に広がります。

【泉漾太郎 顕彰詩碑】
 野口雨情先生をこよなく愛した泉漾太郎翁を奉る形で、碑が建立されました。


■野口雨情 磯原詩碑
 民宿 磯原館前を海岸に向かって歩きます。

 防波堤の階段を上りますと、海岸があります。海岸は簡易型の海水浴場になっているようで、たくさんのお客さんが海を楽しんでいます。
 岩場に目をやると、見たことがある碑。「野口雨情磯原詩碑」です(^^)。このって、この場所にあったんですねー。

 「松に松風 磯原は 小磯の陰にも 波が打つ」

【海岸に向かって歩く】
 顕彰碑からさらに海に向かいます。


【海水浴場】
 砂浜があり、海水浴場になっています。

【野口雨情磯原詩碑】
 おおーw(゜O゜)w、観たことありますぞ!。


 せっかくの歴史ある場所なのに、海草のくずゴミが清掃されていないのが残念。
 大きい熊手か何かで定期的に清掃すれば、もっともっと魅力的な場所として胸を張れるのに、残念ですねー(==)。


【海草のくずが散らばる】
 近辺でお店をやっておられる方が交代して掃除すればいいのに。。リピーターを逃しますぞ。

【ゴミが散乱】
 “自分たちの観光地なんだ!”という志を持ってすれば、こういう光景を見てじっとしていられないはず。


■北茨城市歴史民族資料館(野口雨情記念館)
 次に向かうのが「北茨城市歴史民族資料館(野口雨情記念館)」


【北茨城市歴史民族資料館(野口雨情記念館)】
 1階が野口雨情先生に関する童謡や、先生が使った日常品や着物が展示されています。2階は北茨城市の民俗資料の展示となっています。

 天妃山から車で3分の場所です。入場料は300円(大人)。2階建てで、1階が野口雨情先生に関する展示。2階が歴史/民族の展示になっています。
 1階の展示では、野口雨情(1882-1945)が作詞した数々の詩が展示されています。野口雨情先生が実際に使っていた着物や小物なども展示されています。野口雨情先生の言葉で「郷土の愛は、何よりも先づ、その郷土を理解することではじまる・・・・・・」の件(くだり)は感動です(TT)。
 2階は北茨城市で使われていた農具や学校給食の食器、藁で作られた舟などが展示されています。大きな窓から磯原の広大な海が見えるのが良い設計です(^^)。
 残念ながら館内は撮影禁止なので、ご了承ください<(_ _)>。

 「野口雨情生家・生家資料館」は残念ながらパス。


■五浦岬公園
 「五浦岬公園」に来ました。

 公園はちょっとした山になっており、軽い勾配があります。五浦岬公園は平成8年に環境庁による「残したい日本の音風景100選」に選出されています。磯に打ち寄せる波や、風が松を吹き抜けていく音が対象になっています。

 展望スポットからは、この後、行く予定の六角堂が見えます。

【五浦岬公園】
 国道6号から1本海寄りの道に入った公園。


【五浦岬公園から観る六角堂】
 うーん、この風景(@@)グルグル、観光ガイドブックなどでよく観る構図ですぞ!。六角堂の写真はここ五浦岬公園から撮影していたんですねー。いきなり六角堂に行っていたら、こういう写真は撮影できませんでした(^^;)。


【六角堂】
 赤い六角のお堂が冴え渡ります。

【五浦海岸の渚と波音】
 五浦海岸が「残したい日本の音風景100選」に選ばれました。いろんな100選があるものです。


■レストラン椿
 六角堂の見学です。市運営の無料駐車場に車を停めます。

 レストラン椿にてちょっと休憩。窓からは六角堂が見えます。アイスコーヒーとミックスピザを注文。ミックスピザは生地から作られているようで、レンジでチンをするものではなく満足します(^^)。1000円もするミックスピザが、薄い生地で何の味気もないものだったらがっかりですよね!(^^)b。

【レストラン椿】
 椿と言うと、大島を思い出してしまいます。


■岡倉天心先生の墓
 六角堂に向かいます。
 途中右手に「天心先生の墓」があります。石の階段を6,7段上ったところに円形の小さな山があります。お花と線香がお供えされています。岡倉天心(1862-1913)は実際は東京都の染井霊園に埋葬されているそうです。染井霊園から、この五浦の地に分骨、埋葬されています。


【天心先生の墓】
 レストラン椿から六角堂に向かう道路右手にあります。ひっそりと存在するので見逃すかも。

【分骨されたお墓】
 天心先生のお墓は都内にあり、ここ五浦にお骨が分骨、埋葬されています。



■六角堂
 六角堂200円(大人)。
 園内に建てられている、長屋門旧天心邸六角堂「登録有形文化財」に指定されています。
 第二次大戦中、天心の教えを受けた美術史家ラングドン・ウォーナーは、爆撃対象から奈良、京都などを外す文化財リストをアメリカ政府に提出したとされているそうです。その功績をたたえ銅像が設置されました。

【長屋門】
 六角堂の間近まで行くには、この長屋門の受付で入場券を購入しなければなりません。


【ウォーナー像】
 ウォーナーは第2次大戦中、爆撃対象から奈良・京都をはずす功績を残しました。

【園内を歩く】
 園内は順繰りに見るべき場所に行けるよう、道が整備されています。次は六角堂です。


【六角堂】
 岡倉天心先生が設計した六角堂。ここで瞑想にふけたり、釣りをしたりしたのです。ところで、六角堂を撮影するのなら、六角堂に来ては全体を写せないからダメですね・・・(x。x)。横浜ベイブリッジの夜景を観にいったのに、ベイブリッジに乗ってしまい、ライトアップを対外的に見ることができないのと一緒です・・・。


【六角堂】
 サッシの部分などは近年補修されたようですが、そのほかの部分は当時の面影を残します。

【五浦岬公園方向を眺める】
 先ほどはあちらから、この六角堂を眺めたのでした。

 六角堂(1905)は「六角堂観瀾亭」とも呼ばれており、「瀾」とは「大波」のこと。
 設計は岡倉天心が行ないました。波を眺め、瞑想にふけたり、釣りをする場所として利用されました。

 六角堂の六角形の平面図どおりに畳が作られ、敷かれているのがすばらしい(^^)。

【畳が特注】
 六角堂は建物が六角であることから、室内の畳も特別な形状になります。


■「アジアは一つ」石碑
 「アジアは一つ」石碑
 老朽化のため、倒壊防止の補強工事がなされています。

 「旧天心邸(1904)」の木造の家。
 建具が木で作られています。


【石碑「亜細亜ハ一な里」】
 当て字とも言える「亜細亜ハ一な里」(アジアは一つ)が、正式名称のようです。

【旧・天心邸】
 天心先生が利用していた住宅。没後、書斎や浴室などが撤去されています。


■茨城百景 五浦
 園内を出て、左手のバス停のところにある「茨城百景 五浦」を撮影♪。


【茨城百景 五浦】
 長屋門の右手にあります。六角堂があったり、天心先生のお墓があったりする場所なので、この場所に茨城百景碑があるのは納得できます。


■波浮港(東京都大島)と似ている平潟港
 車で10分ほど移動し、平潟港に向かいます。
 北茨城市大津港平潟港の2大港で有名です。一見すると商売としてぶつかり合いトラブルが生じそうですが、役割が異なっています。

 大津港はあぐり網によるイワシ漁平潟港は底引き網によるヒラメ、カレイなどの高級魚漁です。さらに江戸時代では、大津港漁港として栄え、平潟港商港として栄えました。昔も今も、役割が異なっていたため、共存してきたんですね〜(−−)。

【平潟港に到着】
 五浦の六角堂から車で10分程度。茨城最北の港、平潟港に到着です。

 車を降り平潟港を眺めます。ん〜、どこかでみた風景だにゃ〜(´・ω・`)。
 !!。サービスエリアでも出てきた、波浮港に似ているんですね!(><)。


【波浮港(東京都大島)】
 こちらは大島の波浮港。

【平潟港(茨城県北茨城市)】
 こちらは平潟港。似ている〜(><)。


■ボロボロな薬師如来堂
 平潟港の一角に、薬師如来堂があります。少し小高い場所で、階段で上っていきます。

 目の前に現れた薬師如来堂は、なかなか良い感じに歴史を刻んでいます。しかし、如来堂の横に回ってみると、縁側の板が朽ちて壊れてしまい、ボロボロ・・・。宗教がらみになってしまう関係で、市からの補助などを期待するのが難しいのかもしれませんが、歴史的価値から見て、このまま放置するのはもったいない気がします・・・。

【薬師如来堂】
 平潟港の断崖の一角にある如来堂。


【如来堂の鐘】
 鐘部分や周囲は構造としても問題ありません。

【朽ち果てている縁側】
 堂の横に回ると、朽ち果てた縁側。。補修が必要。


 道路を挟んで反対側にも、階段で上れる場所があります。階段を上ると、平潟港の湾岸が一望できるような景観になっています。もあり、なにか意味のある場所のようです。


【堂の反対側に階段】
 海に面した小高い地形に階段があります。

【祠】
 階段を上ると、祠と碑があります。


■平潟洞門の碑
 「平潟洞門の碑」の場所に来ました。
 平潟九浦に通じる道が急な坂道であったのを、地元の方々が話し合いをし、洞門を作ることを願い出ました。工事は安永3年(1774)9月から翌年6月の10ヶ月間を費やして完成しました。


【平潟洞門】
 階坂(はしござか)と呼ばれたこの道は、牛馬も通れないほどの急な坂道でした。そのため地元民たちは交通の便をよくするため洞門を作りました。その功績を称えるために建てられたのが、「平潟洞門の碑」(写真左端)です。


■平潟八幡神社
 歩いて移動していくと、鳥居が現れます。
 鳥居横の石には「鎮守八幡神社」の文字。ここが八幡神社のようです。「八幡神社の眺望」は、茨城百景「平潟港」に制定されており、訪問したかった場所のひとつでした。迷い無く鳥居に続く参拝道を進んでいきます。

 八幡神社の敷地は山になっており、構造がたいへん複雑です。まず、鳥居をくぐり参拝道を進むと目の前にトンネルが現れます。トンネルは15m程で終わり、右手に道が折れます。最初に現れるのが八坂神社です。

【鎮守八幡神社】
 平潟洞門のある道に、鳥居があります。


【鳥居から続くトンネル】
 参拝道がトンネルと言うのも珍しいです。

【八坂神社】
 トンネルを抜け、道なりに進むと八坂神社。



 つづいて細い道を進んでいくと、鳥居が再び現れます。鳥居横には様々な碑(石)が並んでいます。

 階段を上っていくと、目の前にそびえるのが八幡神社です。拝殿本殿の建築美もさることながら、後ろにそびえる山岳に虎の彫り物が収められているのは、何かしら、崇高な印象を受けます・・・。ここから見える平潟港の全景もすばらしいです。
 細いコンクリートで固められた階段を下り、道なりに進んでいくと、最初の鳥居の横の道に戻ることができます。

【八幡神社への鳥居】
 山道が続きます。


【左手にたくさんのお墓】
 鳥居左手の空き地には、様々な形状の墓碑があります。神仏分離前からの歴史なのでしょうか。

【石積み階段】
 さらに上の層に上っていく階段は、石積み。お手製の階段です。


【八幡神社 拝殿】
 かなりの高さまで上ってきた先には、寝殿造りの八幡神社が現れます。構造部材の古さ感から、かなり年季の入った建築物であることは間違いないのですが、資料が少ない・・・。


【狛犬(左)】
 荒々しい狛犬「うん」。

【狛犬(右)】
 青銅でできているのでしょうか。「あ」。


【八幡神社 神殿の組み手】
 拝殿の裏手にある神殿の屋根部分。4段+2段組み手です!(@@)。こんなに細かい仕事は、そうそう観られるものではありません!!(><)。


【拝殿後ろの断崖】
 拝殿の裏手は山を切り崩したのか、直角にそそり立っています。そして、四角い穴。

【虎の像】
 ガラス扉の向こう側には、虎の像が勇敢に身構えています。うーん、何か意味がありそう。。


■茨城観光百選 平潟港
 平潟港の一角に、が見えます。
 確認すると「茨城観光百選 平潟港」の碑です。。ずっと「茨城百景 平潟港」を探してきましたが、見つかりません・・・。一応、この茨城観光百選の石を撮影しておきます。


【茨城観光百選 平潟港】
 「茨城百景」碑を探していると、たまにこの「茨城観光百選」碑が見つかることがあります。百景は昭和25年制定。観光百選は、昭和60年制定と、歴史観が大きく異なります。


■磯原シーサイドホテルにチェックイン
 時間は15時を回ったところ。

 本日は団体行動なので、これにて散策は終了し、ホテルにチェックインすることにします。
 お世話になるのは、磯原シーサイドホテル

 チェックインし一休み。

【磯原シーサイドホテル】
 本日から1泊2日でお世話になります。


【室内】
 室内は洋室でベッド。本当は和室が良かったのですが、当ホテルは洋室基本なのです。。

【お茶請けのお菓子】
 室内にお茶請けのお菓子が置かれるようなホテルです。「とうがらしのり」がおいしい〜♪。


■二ツ島と筆島(東京都大島)
 ホテルのすぐ目の前には、観光名所のひとつ「二ツ島」がそびえています。またまた大島の話になってしまいますが、大島にも似たような観光名所があり「筆島(ふでしま)」と呼ばれる島があります。ぱっと見は“岩場”です。雰囲気が大変似ています。

 筆島大島火山口跡だったそうです。元々は筆島側大島の本体だったのが、いつの間にか溶岩の部分だけを残して無くなってしまい、現在の形になりました。

【二ツ島の大きいほう】
 ホテルの窓からは観光名所である「二ツ島」の大きいほうの島が見えます。


【筆島 大島最初の火山口跡】
 その昔、大島が火山だった頃の名残。いつの間にか島の軸が大きく変わり、いつの間にか本来の島の中心部(筆島部分)は、筆島と呼ばれる“島”扱いになってしまいました。東京都。


■とうりゃんせの像
 1分ほど歩くと国道6号沿いに広場があり、顕彰碑参議院議員であった故・柴田政次をたたえるための碑。茨城県議会の副議長まで務めた方のようです。

 さらに「通りゃんせの像」があります。
 昭和35年5月5日の国道舗装の完成を祝って建てられました。野口雨情先生の「あの町この町」の童謡からヒントを得てつくられた2人の子どもの姿「通りゃんせ」のポーズをしている姿に似ているため、いつのころからか「通りゃんせ」の像として親しまれるようになりました。

【柴田政次 顕彰碑】
 ホテルから国道6号を少し北上した場所に広場があり、一角に顕彰碑があります。


【「とうりゃんせ」の像】
 国道の完成を記念して建てられたのが始まりですが、現在では野口雨情先生の作品の印象のほうが強いようです。


■磯原温泉と夕食
 ホテルに戻り、磯原温泉を堪能します。

 源泉名は「二ツ島鉱泉」。泉質は「カルシウム-硫酸塩・炭酸水素塩泉」。泉温は「20.4℃」です。そのままお湯を使うとぬるいので、こちらでは加温しているとのこと。

 さらりとして異臭もなく、入りやすい温泉です。温度も適正に保温されており、ゆっくりとつかることができ、じんわりと温まることができます。窓からは磯原海岸が眺められますし、二ツ島も確認することができます(^^)。

【磯原温泉 のお風呂】
 窓からは磯原の海が見えます。温泉は良い温度に調整され、じっくりと浸かれます(^^)。


【当・磯原温泉の効能】
 先だっての温泉偽造問題もあり、最近では温泉の表示云々にも気合が入ります。。

【「御夕食券」】
 お風呂から上がると、夕食の時間が待っています(^m^)。この券と引き換えなのだ〜。


 19時からの食事をいただき、再び温泉に浸かると、あっという間に眠りに付きました・・・(==)グウグウ。


【磯原シーサイドホテルの夕食(和食)】
 つい、和食コースを予約してしまいますが、ここ磯原シーサイドホテルでは、フランス料理に力を入れているようで、階下のフランス料理レストラン「ラ・メール」より、お肉を焼く良いにおいが漂っています・・・。


■翌日の8月12日
 今回は本当に団体旅行の枠を超えていませんので、翌日は朝食をいただいた後チェックアウト。そのまま帰途に着きました。。


【バイキング朝食券】
 朝食はバイキング形式で、ご飯やおかずが好きなだけ選択できます。

【バイキング朝食】
 我が家では、昨晩の夕食よりも評判の良かったバイキング形式の朝食メニューです。


【フロントでチェックアウト】
 荷物をまとめ、チェックアウト処理。

【守谷サービスエリア】
 守谷S.A.にてTX車両が通過。この日、石原慎太郎東京都知事が乗車していました。


(この項おしまい)
 
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取材・掲載 お問い合わせ
更新日 2006/02/26
2006年02月25日 UP

関連リンク
磯原駅から野口雨情生家に訪問。茨城百景「磯原海岸」を発見。
磯原海岸 大北川と野口雨情生家(20051225)


 
【サイト紹介】茨城県土浦市で生まれ、すぐに県外で育ちました。「故郷は遠きにありて思うもの」とは言いますが、歳を取れば取るほど故郷への愛着は深まるばかり。1985年(昭和60年)3月17日から9月16日まで茨城県筑波研究学園都市にて開催された『国際科学技術博覧会(通称:科学万博-つくば’85)』〔EXPO'85〕の思い出を皮切りに、幼い頃よく連れて行ってもらった土浦駅を中心に活動の場を広げます。サイト開催当初は茨城県県南地域(土浦市・つくば市)を中心に活動を広げていましたが、現在では県央、県北、県西、鹿行と活動の幅を広げています。時には茨城県を飛び越え、常磐線つながりで「常磐線旧トンネル(廃トンネル)」を福島県まで求めたり、廃線となった筑波鉄道を散策したり。日立電鉄廃線の時には、最終列車に乗ったりします。祭り好き、花火好き、山車好き。茨城県の第一人者になるべく、足を使った泥臭い取材を心がけていく、「いばらき だいすき」なサイトです。将来の夢は茨城県で一花、いや、たくさんの咲かせること。故郷に錦を飾る予定です。

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