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14 EXPO’88と青函連絡船のその後



青森EXPO’88の模型

 私の世代は、「EXPO」って言うと、「科学万博−つくば’85」ですが、ここ青森でもEXPOが行なわれていたそうです。青函連絡船の開通を祝った意味合いもあるみたいですねー、青森EXPO’88。

 新聞の展示がずーっと続きます。「青函連絡船のその後」と銘打った展示は、青函連絡船のその後の行方を追った、面白い展示となっています。

 青森EXPO’88のプレート。  アスパムを中心に、各パビリオンが展開されていたんですねー。


 「その後の青函連絡船」展示(左)。  展示(右)。


 石狩丸。地中海(ギリシャ)で働いているそうです。  空知丸。同じく地中海(ギリシャ)で働いているそうです。


 十和田丸。フィリピンでホテル(フィリピンドリームホテル)として働いているそうです。  羊蹄丸。東京臨海副都心で展示(船の科学館)しています。


 八甲田丸(写真上)と摩周丸(写真右下)。八甲田丸は、今乗っているこの船(メモリアルシップ八甲田丸)ですね。摩周丸は函館で展示(メモリアルシップ摩周丸)しています。  補助汽船ひうら丸。補助汽船とは、連絡船を横軸に移動させるため、体当たりで連絡船を押すための船。現在は石狩新港で働いている。


 檜山丸。ただいま買い手を捜し、休養中。  大雪丸。長崎にて豪華ホテル「ヴィクトリア」として働いているようです。


 第二の人生行路。青函連絡船で働いた男たちのその後を記事にしています。  青函連絡船同窓会。


 20世紀の舞台。


2001年11月23日 取材
2002年5月5日 UP


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